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第171回 交野歴史健康ウォーク
2018.2.10(土) 12名(会員7名)参加
小久保川の源流を探り新川を歩く

 

日時:平成30年2月10日(土) 午前9時 集合場所 京阪・私市駅前 

京阪私市駅→畑の街道→尺治川の遊歩道→登録有形文化財・尺治川床固工→
上代水利組合取水口→月輪の滝→月の輪滝が広遺跡→吉向窯見学 徒歩約3.5km

参加12名(会員7名)
  案内: 村田義朗氏
 2月10日午前9時、午後から雨の予報で今にも雨が降りそうな気配にも拘らず12名の元気な皆さんが参加下さいましたが、予め決めていた行程を変更せざるを得ませんでした。
 
 当初の予定の行程は、平成30年2月10日(土) 京阪・私市駅前 9時〜12時 
  <行程> 私市駅→畑ノ街道→私市水辺プラザ→尺治川砂防堰堤→天野川砂防堰堤
   →加賀田用水取水口→私市富士→向井川・開川水利組合→私市墓地・弘安地蔵→
  尺治川遊歩道→尺治川床固工→月の輪滝→上代水利取水口→滝が広遺跡→私市駅で解散予定
 
 前半の予定をカットして、先ずは尺治川の右岸沿いの遊歩道に入り、途中で小橋を渡り左岸の小道を遡り、登録文化財・尺治川床固工を確認。更に上流へと歩き、砂防ダムの手前を右折して上の広場へ出て、尺治川の左岸沿いの道を月の輪の滝までゆっくりと探訪。
 帰りは、滝が広遺跡を廻り、吉向松月窯に立ち寄ったところ、9世の吉向孝造氏がご在宅、突然にお邪魔したにも拘らず、吉向窯の歴史について大変詳しくご説明頂き、江戸時代より続いている窯を見せて頂きました。
 その後、小雨が降り出し前半の行程を廻ることが出来ず12時頃、私市駅にて解散しました。

 皆さんと一緒に歩きたいと願い、探索・探訪した「月輪の滝から獅子窟寺までの修験道」ルートの探訪は、次の予定で歩きます。足に自信のある方は是非とも参加ください。

 4月7日(土)午前9時、京阪・私市駅集合、月輪の滝入口より沢登りと尾根歩きの修験道を獅子窟寺までゆっくりと歩き、私市駅12時に解散予定です。尺治川の支流を登りロープを伝って尾根へ出たりしますので健脚コースと選定。なお、雨天は中止とします。

 「月輪の滝から獅子窟寺までのルート」は、昔、ハイキングコースになっていて何度か歩いた記憶があり、昨年歩いてみましたがルートが分からず、西野さんのホームページと助言を頂き、会員の川田さんと二人でコースの一部修復・選定をしました。

 ※ 西野さんのホームページ「獅子窟寺の谷と山を歩くシリーズ」を参照させて頂きました。
    記して感謝申し上げます。
私市富士

今回歩けなかった「私市富士」
私市のスポレク「星の里いわふね」にあります。
徒歩15分で頂上へ着き、360℃の展望が開けます。
2月10日、尺治川周辺ウォークMAP

私市小学校と交野市水道局

月の輪滝前で記念撮影
尺治川を遡る
登録有形文化財・尺治川床固工
  所在地 交野市私市8丁目、9丁目
  時代  明治時代
  構造など 石造 堤長9.Om 堤高1.8m
  指定年月日 平成15年1月31日
  
 尺治川堰堤から上流へと向かう遊歩道の中途にある小橋を右岸に渡り、細い遊歩道を更に上流に向かって歩きます。砂防施設は、下流から約400m上がった川床にあります。緩やかに下降する川床及び側壁には、凹曲面状に切石がびつしりと張り巡らされています。
 水をたたえた尺治川は、府民の森くろんど園地のハイキングコースに沿つてその姿を現します。交野八景の一つ「尺治の翠影」は、この川が長い年月をかけて山を浸食して砂を押し出し、深い渓谷を作り出した結果、生まれた自然の造形美なのです。
 
月輪の滝
交野八景の一つ、尺治の翠影(しゃくじのすいえい)

「尺治」 と呼ばれる谷は、古くから神がおられる神聖なところとされ、滝や大岩などが信仰の対象となっていました。
府民の森から奈良へ通じている道は、その昔、大和から新しい文化がやってくる道でした。

月輪の滝は
獅子窟寺の修験者たちが修行の場として使っていた滝。
夏は水量が多く滝のしぶきが気持ちいい。滝の周りは子供たちや家族連れの絶好の水遊び場として賑わっている。府民の森・くろんど池へのハイキングコースの入口で多くの大阪府民から親しまれている所です。

「尺治」の地名
石に精霊がこもるという信仰は古くからの自然信仰のあらわれである。
東京都練馬区に石神井(しゃくじい)というところがある。
石の剣が石神井公園の三宝池から出たことから、これを御神体としてお祀りしている。
石神井(しゃくじい)というのはこうした由来をもってつけられたと言う。

月輪の滝私市(きさいち)でも土地の神を祀る風習があり、この尺治の地を神のおられる神聖な場所とされてきた。

私市の水利組合
上代水利組合・月輪の滝取入れ口→松宝寺池へ

月輪の滝 滝が広遺跡
        出土品  (甕形土師器の蔵骨容器、青銅貨富寿神宝、?仏 人骨)
 昭和45年2月私市月の輪滝の入口、滝ケ広という滝の川の右岸斜面(標高80m)で、南田安彦氏経営宅地造成工事の際、ブルトーザーが一個の土師器を掘りだした。つごうよくまったくの無疵で出土した。南田方ではすぐに交野町役場へそのよしを届けでたので、役場でもそれを大阪府へ届けた。

吉向松月窯
吉向窯の歴史はこちらを参照ください。

平成27年3月の交野古文化同好会の勉強会でご講演頂きました!
吉向松月窯の歴史と七夕に寄せる古代ロマン

吉向松月窯 吉向孝造氏より詳しくお話を聞くことが出来ました。
伊予大洲出身の戸田治兵衛が、京都に出て陶づくりを学び、享和の始め、大阪十三村に窯を築きました。
庭前の老松と生駒山にのぼる月を愛で、「十三軒松月」と号し、作陶に専念しておりました。
時の将軍家の慶事に際し、鶴と亀の食籠を献上いたしましたところ、亀の食籠が非常に気に入られ、「亀甲」即ち「吉に向かう」にちなみ、「吉向」の窯号を賜りました。

幕末から明治にかけて窯を守った四代松月に二子があり、兄、萬三郎が、五世吉向松月を継ぎ、弟実蔵が、五代吉向十三軒を継ぎました。
これより吉向窯は、二つに分かれました。
当吉向松月窯は、この時の兄、萬三郎の流を引き継ぐものです。

初代松月が、浪速の地に窯を築いて以来、200年あまり、各代々が種々の技術を伝統に取り入れ、吉向焼として、独自の発展をしております。

平成19年10月、七世松月の次男孝造が九世松月を襲名しました。
それに伴い、八世松月(秀治)が「そう斎」(「そう」は子偏に宗)の名を賜りました。

十三に端を発した窯は、高津(現在の大阪市中央区)、枚方を経て、昭和55年交野市に移転しました。
交野は、奈良時代の陶器、正倉院三彩の陶土の採取地として古文書に残っている、やきものにゆかりの深い地でもあります。

現在、四季折々の自然に包まれた私市月の輪滝のほとりで作陶活動に専念しております。

吉向焼の桶窯
江戸時代、初代が使われていた窯を復元したもので、
窯の形式は、「桶窯」といい、筒形式で中に内窯があり、煙突がありません。
素焼き窯変で、約1100度ぐらい上がります。
黄土を塗った茶?などを、薪と炭で素焼きし、窯変を付けます。


尺治の地名の由来等
 私市のくろんど池へのハイキングコースの道筋の谷を刻んで流れている清流が尺治川である。水源は月の輪の滝を登って砂防ダムを越え府民の森に入る。睡蓮やあやめが咲くすいれんの池の上、標高240mぐらいの所にある。
 月の輪の滝のところは天野川の磐船神社の巨岩が並ぶ場所とよく似ている。巨岩が谷を埋め、その巨岩の合間を滝となって落ちている。この滝は金剛の滝と呼ばれている。この付近一帯はもともと獅子窟寺の寺内で、僧侶達の修業の場であった。僧侶が滝に打たれ、修業僧の鍛錬の場であったところから「金剛の滝」と呼ばれている。 

 交野八景の一つ、「尺治の翠影(しゃくじのすいえい)」「尺治」 と呼ばれる谷は、古くから神がおられる神聖なところとされ、滝や大岩などが信仰の対象となっていました。

 「畑ノ街道」と書いているが、元の意味は「畑垣内(はたのがいと)」である。私市の人が久保之内や川原、川辺、中通り、井手ノ内など水田耕作をしていたが、やがて、高台、高燥地に向かつて開発の手が伸び、この荒野を開発した。そして、高台であるため水田は無理であるので畑作を中心とした。大豆、さつまいも、とうもるこし、麦、ひえなど、自給用の作物を栽培したと思われる。新しい開墾地を指して「垣内」と付けたが、磐船街道の道筋に当たつていることから「垣内」が「街道Jになったのであろう。 現在は砂地の畑で、いちご、さつまいもを中心にして、春のいちご狩り、秋のいも掘りと観光農園化されてきている。

 私市の山地の部分に付けられている地名はたくさんあるが、大きな地名は三つしかない。「谷奥」「尺治]「岩船」である。谷奥、尺治、岩船の地名の後ろに、その場所の固有の地名がくつついて付けられている。

 谷奥は獅子窟寺を中心にした山地に付けられている。尺治は京阪電鉄私市駅の南の川(尺治川)の流域に集中しており、岩船は磐船神社から天野川沿いに細長く付けられている。

 私市から月輪の滝への川沿いのハイキング道を歩いてみて、崖の方に目をやると、ところどころに岩の出ているのが分かる。腰掛けに合う石が多かつた所とか、高名な人が腰を掛けられたとかのいわれであろう。その高名な人はたぶん弘法大師であろう。

 畑ノ街道の尺治川に架かる新御幸橋から北への下り坂の地域を「大師」と呼んでいる。弘法大師がこの道を歩かれ、一ノ井を通つて、獅子窟寺に入られたのかもしれない。尺治掛ケ石の南側の尺治川に面する斜面で、尺治鎌ケ谷との間が東西に切れて尺治川が流れている。現在、古向焼の窯元(かまもと)が建つている所である。川が南へ片寄るため、窯元の方に少し広い平たん地が形成されている。



月輪の滝道  改修記念碑
松永密造師を先達として、大正14年11月9日、密林を拓いて開瀑、
山主西村忠逸氏と協議の上、金剛洞月の輪の瀑と松岡大助命名す
今回、案内できなかった「私市富士」

尺治川に架かる新御幸橋から正面に見える「私市富士」

私市富士の頂上、360度の展望が開けます。
次回の歴史健康ウォークは、3月10日(土)午前9時〜12時、JR河内磐船集合。
尊延寺・三宮神社・穂谷探訪、案内は伊東征八郎氏です。
沢山の方々の参加をお待ちしております。

最後までご覧いただき有難うございました!

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