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西国街道を歩く

長岡京跡、向日神社、乙訓寺など
詳しくは、向日市の歴史、みどころなどを紹介する
「向日市こんなまち」の公式ホームページへアクセス下さい


 5月11日、午前9時30分頃、、枚方駅北口・京阪阪急高槻駅行きバス停に行くと、もう既に沢山の参加者で一杯、主催者の職員さんから資料を頂戴しバスに乗り込む。天気予報では、午後から崩れるとのことでしたが、五月晴れの良い天気に恵まれた。参加者のどなたの顔も明るい。阪急電車で乗換え、西向日駅に到着。いよいよ、長岡京跡を目指す。
 大極殿跡では、講師の辻先生から桓武天皇がどうして長岡京に都を移すことになったのか、また、交野が原との地理的な関係など大変興味深いお話を分りやすく説明を頂いた。この地に、僅か10年間とは言え、都が築かれたこと、またその規模は、その後1000年続いた平安京と変わらないことなど、1200年前に思いを馳せた。その後、向日神社、乙訓寺、長岡天神を巡り、大変楽しい一日でした。幸い天気も良く、気持ちの良い爽やかな歴史散歩でした。次回の講座が楽しみである。
 交野市駅→枚方駅北口・京阪阪急高槻駅行きバス停集合→
阪急高槻駅→阪急西向日駅→長岡京跡→向日神社→
乙訓寺(ボタン)→長岡天神(霧島ツツジ)
→長岡天神駅(約5km)

西国街道を歩くコースマップ
長岡京・大極殿跡で
辻先生から分りやすい
奥の深い説明を受ける
向日神社前の
西国街道を横切り
立派な参道へと入る
向日神社・延喜式内社
718年(養老2年)創祀
威風堂々とした佇まい
乙訓寺で楽しい昼食
2000株のボタン寺
乙訓寺で早良親王の
無念を思う・藤原種継
暗殺事件に連座
長岡天満宮
菅原道真を祀る
燃えるような花の回廊
八条ヶ池の霧島ツツジ
樹齢約150年
八条ヶ池・江戸時代
八条宮が天満宮を
整備改築した時創設
八条ヶ池・五月晴れの
池の回廊を歩く
西国街道:京の東寺口から西走し、久世橋、向日市の中心街を通り、長岡京市の神足、大山崎を経て、西国に向う街道である。
 この街道は、長岡京と平安京の羅城門を結ぶ道筋であるから、期限は、平安京の設立時に遡る。 そのため道筋には、歴史的文化遺産も多い。(長岡京跡、向日神社、乙訓寺、長岡天満宮、十輪寺、善峰寺、天王山遺蹟、離宮八幡宮など)
 平安時代前期の公卿文人菅原道真は藤原時平の陰謀により、筑前国大宰府に左遷された。政敵への怨みと望郷の思いを胸に秘めながら、西国へ下ったのもこの道である。

長岡京跡:長岡京は桓武天皇朝の初期、延暦3年(784)11月、平城京から長岡京へ遷都。大変慌ただしく、しかし、天皇の強い意思で決行。 長岡京の時代は、10年間、(延暦3年〜延暦13年)、原因は、藤原種継暗殺事件。皇太弟・早良親王の連座。

長岡京遷都の背景:遷都は国を挙げての大事業。山背遷都、大和国〜山背の国。桓武天皇の新都への重いと決意。

長岡京の規模は、発掘調査の結果、東西4km、南北5kmの大規模都城とわかる。

古代都城位置関係図
(長岡京、平安京、平城京、藤原京、難波宮など)

向日神社:社伝によると、718年に創祀。平安時代には、山城国五社の一つに数えられた。祭神:向日神火雷神、玉依姫命、神武天皇。本殿(重文)1422年の建築、三間社流造、戦国時代、山城の国一揆の拠点の一つ。

乙訓寺:真言宗豊山派長谷寺末寺。長岡京、平安時代の大寺院。桓武天皇の皇太弟(早良親王)幽閉の寺。785年藤原種継暗殺の連座。後任2年(811年)空海(弘法大師)が別当となる。元禄年間(1688-1704)五大将軍綱吉の母桂背昌院が再興し寺領100石を与える。

長岡天満宮:毎年5月初旬、キリシマツツジが燃えるような緋色に染まる。樹齢約150年、高さ2-3m、花の回廊、最近大々的な植樹で一層壮観となった。
 長岡天満宮:平安時代前期の公卿菅原道真が筑紫の大宰府に左遷された折、現在の長岡天満宮辺りで、都の名残を惜しんだという。のち一族が、ここに祠を建てたのが長岡天満宮の始まりといわれる。天満宮には道真のいろいろないい伝えが数多く残されている。

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