円形星図が交野が原に描かれた
私は天野川と機物神社の位置関係から逆算して、交野天神社が円形星図の中心点(北極点)であると推測しました。遠い昔、交野天神社の位置を中心点に定め、そこから織り姫星(こと座のベガ)の位置を正確に測った誰かがいたのです。そこに機物神社が建てられたんです。
交野天神社の裏に和気(わけ)神社(貴船社)がありますが、和気神社は昔は交野天神社と一体で小高い丘の上にありました。そしてそこには櫓(やぐら)が建てられていたということです。天神社の南には鏡伝池(きょうでんいけ)があります。現在は間に樟葉中学校の校舎が建っていますが、和気神社、交野天神社、鏡伝池は南北に一直線に並んでいました。遠い昔、和気神社の小高い丘に立てば、目の前には鏡伝池、そして広大な「交野が原」が一望に見渡せました。
池には「鏡で伝える」という象徴的な名前が付けられていますが、この地を“すべてが交わるところ”と決めた人達は、和気神社の小高い丘の櫓の上に立って、池に反射する星の角度を測っていきました。これは航海士が大海原で現在位置を求めるときに使う六分儀の原理と同じです。櫓は当時の天文台だったと考えられます。測った星の位置は、今度は昼間に太陽の光を同じ角度で鏡に反射させて地上にポイントを落とし込んでいきました。当時の人々にとって、鏡は天文測量になくてはならない道具として大切な意味を持っていたはずです。
『天の川伝説』に導かれるように、交野天神社、機物神社、天野川の位置関係を計算して驚いたことは、現在の数学や天文学の最先端の知識を使わなければならないことを簡単にやってのける、そんな凄い文化を持った知的な人々が、かつて交野が原に住んでいたということです。私は一つの仮説に基づき、交野・枚方の地に関心を寄せるようになりましたが、今後さらに調べていくと、もっと凄いことが見えてくるような気がします。 |