妙見菩薩は一般的には北極星を神格化したものとされ、シンボルに北斗七星が描かれているんですが、その形は現在の私たちが見ている柄杓(ひしゃく)の形とは少し異なっています。星は固有運動をしていますから、長い年月をかける間に星座としての形は少しづつ変化するんです。つまり大昔の人々が見ていた北斗七星は、妙見さんのシンボルとして描かれているのと同じ並びをしていたということです。それが何年頃であったのか?それは天文学的に計算をすれば推測することは可能です。 おそらく、隕石は真夏の夜空に、まるで七曜の星(北斗七星)が降ってきたかと思われる角度から、物凄い勢いでここに落ちてきたのではないでしょうか。クレーターの大きさから推測すると、落下した隕鉄は3メートルくらいの塊であったと思います。隕石としてはそんなに大きくはないんですが、落下してくる速度というのはだいたい時速10万キロくらいです。地球は時速1500キロで自転しながら、太陽の回りを時速10万8千キロくらいで回っていますから、そこに時速10万キロで隕鉄が落下して来た時の衝撃というのは、たった3メートルくらいのものでも、とてつもないものであったことが想像できます。 それでは一体、ここに落ちてきた隕石というのはどの星のかけらであったのか?
ということですが、夏の夜空で、北斗七星と同じ方向からやって来て、地球に落下する可能性のある流星はといえば、毎年8月12日をピークに、7月23日から8月20日にかけて出現するペルセウス座流星群しか考えられないんですね。この大流星群の母彗星は135年の周期で太陽の回りを回るスイフト・タットル彗星です。スイフト・タットルがこの前太陽に最も接近したのは1992年でしたが、その時その彗星を再発見したのは、実は私でした。
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