第9回 京  遊  会 
2006年11月8日〜9日 

猿沢池・興福寺・ならまち散策

岩下利明さんから京遊会レポートを頂きました
写真は、芦谷さん、寺田さん、山田さん、三木さん、村田さんより

 今回の京遊会は、三木・冨田両君のお世話で、同窓の長谷川崇明さんのガイドで奈良を散策することになりました。
 参加者は、11人。芦谷正裕、岩下利明(旧姓井伊)、菊谷寿六、寺田尚明、冨田邦良、三木俊作、村田義朗、山田忠男、名ガイド役の長谷川崇明、(以上 龍野高校10回生)上田裕彦、田中旭(以上 龍野高校11回生)(敬称略)  なお、写真の名前もすべて敬称略します。

第一日 猿沢荘

 「秋の陽は釣瓶落とし」将にその通り、まだ5時前というのに猿沢池の畔に立つともう夕暮れでした。案内図を頼りに猿沢池を通り過ぎた所で山田さんに出会い、二人揃って今日の宿「猿沢荘」に入りました。
 今回は、京遊会の10名フルメンバーに今回特別参加の長谷川さんが加わり総勢11名と賑やかになりました。長谷川さんは、奈良市近郷に住み、ボランティアの奈良観光ガイド暦5年というベテランガイドで、明日は興福寺とその周辺を案内してもらうことになっています。又、長谷川さんとは、高校卒業以来、実に44年半振りに会えるというこれもまた大きな楽しみです。 
猿沢荘で賑やかに宴会!
猿沢荘ホームページを参照下さい!

[長寿の酒、大安寺の笹酒で乾杯]大安寺の笹酒
 18:00より2F広間にて宴会開始。総勢11名、先ずは、長谷川さん差し入れの、「長寿の酒」と評判の大安寺の笹酒で乾杯。さっそく、長谷川さんの観光ガイドの始まりです。
 このお酒は、第50代桓武天皇(737〜806)の前帝、第49代光仁天皇(709〜781)が、竹筒に注いで温めた酒を飲むことで健康と長寿を保ったという故事にあやかり、大安寺では毎年1月23日に「光仁会(こうにんえ)癌封じ笹酒祭り」と題して、参拝客に笹酒(竹筒で燗をした酒)を振舞っています。このお酒が、癌封じ=長寿の酒として大変評判になっています。
 光仁天皇は享年73歳、当時としては随分長寿です。やっぱり笹酒の効能ではないでしょうか。
 酒の由来から始まった長谷川さんの奈良観光ガイド。明日の予習をしながら、飲むほどに酔うほどに益々流暢な長谷川節に一同すっかり飲み込まれてしまいました。元々雄弁家ではありましたが、高校卒業以来45年振りに会った彼の流暢な話し振りは、更に豊富な知識と薀蓄(ウンチク)に裏付けられ、聞く者を引きつける不思議な魅力を持っていました。意地悪な質問にも即座に明快な回答があり、一同感心したり納得したり。集まった11名の中で一番輝いていたのではないでしょうか。明日の興福寺とその周辺散策が益々楽しみになってきました。

 二日間に亘る長谷川さんのガイドを思い出すままに綴りました。聞き違い、聞き忘れが多々あると思いますが、既に「ボケ」否「認知症」ゾーンに住む年齢であることをご理解頂きご勘弁下さい。

酒の由来から始まった 長谷川さんの奈良観光ガイドの始まり、始まり!

〔龍野高校同窓会で全国唯一の県支部「奈良県支部」がある〕
 龍野高校同窓会の組織は、龍野高校内に本部を置き、後は東京に関東支部があるだけと思っていましたが、意外な事に奈良県支部があるんです。関東支部以外唯一の地方支部です。毎年、この「猿沢荘」で支部総会を開いていて毎回20名前後の方が集まるそうです。正暦寺の清酒発祥の地の石碑その縁で今夜の宿となりました。以前は、名古屋にも支部があったそうですが、かなり前になくなっており、今や貴重な存在です。他府県にも波及するよう、是非、末永く続けて頂きたいものです。

〔清酒の元祖は奈良の正暦寺(しょうりゃくじ)〕
 今、当たり前のこととして飲んでいる「清酒」は、奈良の正暦寺というお寺で生まれました。近くを流れる菩提仙川の水を使ったら透明な酒が出来上がりました。これが清酒の始まりです。時は、14世紀南北朝の動乱期(1336〜1392)といいますから、600数十年前のことです。その酒は、「菩提泉(ぼだいせん)」「南都諸白(なんともろはく)」という銘で現在に引き継がれています。
 正暦寺:992年(正暦2)第66代一条天皇(980〜1011)の発願により創建され、「菩提もとつくり」という製法で、わが国で初めて清酒を開発したお寺として知られています。 ― JR版奈良観光ガイドブックより


                       正暦寺の本堂と紅葉


〔三島由紀夫が割腹自殺の直前に訪れた圓勝寺〕
 後水尾天皇(1596〜1680)は将軍秀忠の娘を中宮和子として迎えましたが、江戸幕府には反抗的であった。その皇女を徳川将軍に嫁がせるのが嫌で、修学院離宮へ尼さんに出してしまいました。後になって天皇自身が出家し法王となって修学院離宮へ行くことになり、尼になった皇女を、奈良の山村(やまむら)という所に圓勝寺を建立して住まわせました。一般人が訪れることのない由緒ある門跡寺です。どういう縁があったのか、三島由紀夫が割腹する前に訪れていたということで有名になりました。

〔阿倍仲麻呂望郷の歌はどこから見た月を思ってのものか?その場所がわかった〕
 阿倍仲麻呂:(701〜770)奈良時代の学者。716年遣唐留学生となり翌年入唐。玄宗皇帝に仕え、733年帰国の際、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と歌ったが、不運にも乗船が遭難し安南まで流れ着き、再び唐に戻って一生を終えた。 ― 百科事典より
 この余りにも有名な望郷の歌は、一体何処から見た月を思い出して詠んだのであろうかと検証され、此処から見た月に相違ないといわれる場所が見つかったそうです。暇な人がいるもんだなぁーと思う一方、実にロマンに溢れた話ではないですか。私もそこへ行って、山影から出たばかりの大きな月を見ながらこの歌をじっくりと鑑賞してみたい、そんな衝動を覚えました。

〔最澄と空海―空海は水銀鉱脈探しの名人で金持ちだった〕
 最澄(767〜822)は、勅許を得て(官費により)唐へ留学し、数多くの仏典を持ち帰りました。一方、空海(774〜835)は自費で遣唐留学生として唐に渡り、豊富な資金で最澄に数倍する仏典書籍を持ち帰ったといわれています。最澄は、何度も空海の所へ仏典を借りに行ったそうです。
 当時の「朱(赤色)」は水銀からつくる「丹」か、土からつくるベンガラが使われていて、特に水銀からつくる「丹」は高級品として貴重視されていました。空海はその水銀の出所を数多く知っていて、豊富な財力があり、それを持って唐に渡ったので最澄を遥かに上回る大量の書籍仏典を持ち帰ることが出来たと言われています。
 空海は、弘法大師として各地の山野を行脚し、讃岐では万農池を修築したと伝えられ、各地に霊泉や霊水伝説があり、山や鉱脈にもかなり詳しかったのであろうと一人で納得しました。

〔藤ノ木古墳は出羽(山形県)と繋がっていた?〕
 盗掘を免れ、ほぼ完全な形で発掘されて有名になった「藤ノ木古墳」では二つの棺に納められた白骨遺体が沢山の副葬品と共に発見され、話題になりました。その遺骨が誰のものかは未だ解明されていません。そこに使われていた「朱」を分析した結果、紅花から採れた「朱」と判明しました。当時、大和周辺では、大陸からのものも含め「朱」の材料は、水銀から作る「丹(に)」か土から採るベンガラしかなく、紅花は、出羽の羽黒山にしか産していませんでした。では何故出羽にしかない筈の紅花の「朱」が藤ノ木古墳にだけあるのか。蘇我馬子に殺害された第32代崇峻(すしゅん)天皇(?〜592)が出羽に縁があったと言われており、そうすれば藤ノ木古墳に葬られている遺体の一つは崇峻天皇ではないかという説が唱えられたり、「朱」にまつわる話が果てしなく広がっていきます。
 家臣が天皇を暗殺するという日本歴史上極めて特異な事件でした。崇峻天皇は、馬子の妹の子=甥に当り、極めて悲惨な事件でもありました。

〔七堂伽藍とは…、五重塔はお墓、金堂は仏壇…〕
 七堂伽藍とは、仏教寺院の基本形態で、塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧坊・食堂の完備したものを言います(宗派や時代の変遷により名称や配置に変遷があるが奈良時代初期のものが基本形)。塔(五重塔や三重塔等)は今にいうお墓、金堂は仏壇に当たります。講堂は仏法学習の教室、僧坊は学僧の宿舎です。

〔「お坊さん〕と「坊主」どっちが偉い?〕
 ところで、元来は修行僧のことを「坊」と言い、その中のリーダー(今で言えば、生徒会長か、委員長)を「坊主」と言いました。何時の間にか修行僧である筈の「坊」に「お」と「さん」をくっつけて「お坊さん」と敬称し、逆にその中で一番偉かった筈の「坊主」のことを「くそ坊主!」とか「坊主!」とか蔑称するようになっています。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?
  これは面白い。初めて聞きました。これだから、長谷川さんのガイドは楽しいんです。

 〔今回の話題は「お寺」〕
 宴会場だけではとても話が終わりません。部屋に帰って深夜まで飲んで語って。皆さんとても元気です。 一昨年の京都では「健康と病気予防」、昨年の名古屋では「お墓」と「JR打線事故の解説」で賑わい、さて今回は?と楽しみにしていましたら、長谷川さんのお陰で奈良観光は「日本古代史の逸話とお寺」が話題の中心になりました。さて、来年は…?と思う間もなく深い眠りに沈んでいました。

〔45年前の写真〕
 村田さんから45年前の写真が提供されて、一騒ぎとなりました。写っているメンバー8名…上田(11回)・菊谷・寺田・冨田・三木・村田・山田・井伊(現岩下)…の風貌や服装、周りの風景などから、昭和37年の正月、京都に遊学していてその春卒業する (一部例外あるも) 仲間が、学生時代最後の正月を惜しんで村田さんの家(現、たつの市新宮町新宮)にて一夜を明かし(お家の方には、特にお母さんには大変お世話をお掛けしました)、その翌日近くを流れる栗栖川対岸の新田山に遊んだ時の写真でした。かっては紅顔の美青年、今は厚顔の……。いや、「変わっとらん」と言う人もあり、失礼しました。そのメンバー8名が今夜のこの席に全員揃っているという、思えばこれも不思議な縁です。 − 生まれる〜 前から〜 結ばれていた〜 古い歌を思い出しました。 

(左より)菊谷、上田、寺田、山田、村田、冨田

(左より) 井伊(現岩下)、村田、寺田、山田、上田、冨田

(左から)井伊(現岩下)、菊谷、寺田、上田、冨田、山田
早速、参加者からメールを頂戴しましたので紹介します

芦谷正裕さん

 皆様、気分上々でお帰りになられたことと思います。奈良駅
一年半ぶりの京遊会、澄み切った秋の好天に恵まれ日本の歴史の草創期の710年代の史跡の中での集まり、いつもながら、歴史の中にタイムスリップした気分でみんなで語り合え、とても楽しい時間をすごすことが出来ました。
 臨時参加された長谷川さんの話のプロ(慶大落ち研)のご案内ありがとうございました。藤原氏の天皇並みの権勢を誇った氏寺である興福寺の詳しい説明に時を忘れました。
 また、710年頃の寺が忠実な思想の元にフルセットで建立されていたその広さと壮大さと共に大変な勉強と体験をさせていただき感謝しています。五重塔と九輪、サウナ、風呂式、八角堂、ウコンの橘とサコンの藤、現世の願い事を聴いてくれる寺、六道の分かれポイント、52段の階段など今まで知識になかったことです。

 8日の夕方はJR奈良駅から夕日の三条通を一直線に歩いて、平日なのにやたら観光客の多い老舗の店を見ながら15分、猿沢の池を右に五重塔を左にみて、六道のポイントをみぎに曲がって、この日の宿、猿沢荘に着きました。ゴルフ組みの日焼けした顔にもう飲んで盛り上がってるなとあいさつ、早速、湯につかりました。興福寺の五重塔
 夜の宴会は奈良の会席料理で’昼のゴルフの話’たつのか?龍野か?西播磨か?何人かの方が自治会長として、また、公聴会にて、決定に関与しておられたスリリングな話も聞かせていただきました。また、格差社会、核の保有の問題、湯川秀樹が核保有は抑止にならないとか、富田さんのナカタ○○○の話、小林秀雄、長谷川さんの三島由紀夫の話、西部進の日本の文化、資源エネルギーの自主独立、市場原理主義(三位一体改革、再チャレンジ)は日本風土に根ずくかの考え方など話が弾みました。
 宴会のあと、沢山ご馳走になったので、部屋に帰って、ベランダで月を見ながら一句、

    春日なる荘に集いて   声ひびく
      ライトアップ タワーと   光る月かな


幹事さんありがとうございました。
次回は伊豆箱根方面に決まりました。
温泉も多いので楽しみにしましょう。一度行ってみたかったと思うところありましたら、お知らせください。組み入れます。

次回幹事 芦谷正裕 山田忠男 になりました。よろしく。

山田忠男さん

幹事さん、京遊会参加の皆さん
すっかりお世話になりました。2年ぶりの楽しいひとときを過ごせました。
長谷川さんのベテランの味で、奈良の良さがよく分かりました。今度は、家内を連れて案内して頂こうかな(笑い)。
企画、実行して頂いた幹事さんには特に感謝です。

皆さんと別れて、橿原に泊。翌日も天候に恵まれ、自転車で明日香を見て回りました。彼方此方を訪ねながら、歴史の登場人物を思い、大いなるロマンを感じました。
  

○万葉の歌人を訪ぬる菊日和
○飛鳥(とぶとり)も明日香に向かふ柿の里
 
      山田夢沙洛

帰ってきたら、句会だの管理組合理事会、評議員会それに大学の講義と目白押し。すぐにお礼を申し上げるべきところ、遅くなりました。
今週末には再度、関西、京都・大阪へ行くことになっています。

冨田邦良さん

京遊会のみなさんへ

 晩秋なのにぽかぽか陽気な中の奈良散策無事終えることができました。
皆さんお忙しい中での全員参加ごくろうさんでした。とくに東京組みの芦屋さん、山田さんお疲れ様でした。 今回は長谷川さんのガイドで普段素通りしてた興福寺の謎解きの丁寧なガイト゛、元興寺の旧境内の「ならまち」散策、夜はライトアップされた五重塔を見上げる宿で秋穫御膳をいただき、大安寺がん封じのお酒(長谷川さん提供)で乾杯飲み放題のひとときでした。
 最後に、会計報告をさせて頂きますと残金51円でしたので「おさいせん」で祈願しておきました。
いよいよ朝夕の冷え込みも一段ときびしくなつてまいります、健康管理一番で御身たいせつにすごしましょう。  

三木俊作さん


先日の京遊会では近年にない充実したひと時を過ごすことができました。
長谷川君の名ガイドで「奈良散策」ができた事、本当によい京遊会でした。
写真を送付しますが、部屋の中の写真、集合写真は出来がよくありませんので悪しからず!!
来年の再会を楽しみにしています。

寺田 尚明さん


先日はお疲れさまでした。昨年春の万博京遊会以来1年半ぶりの再会でしたが、皆さん元気で全く変わりが無いのにまず安心しました。
この年、何よりも「健康第一」が何よりの宝、この状態をずっと続けたいものです。
 今回は長谷川君の名(迷)案内で、小学校以来?久々の奈良の街を愉しむことが出来ました。
宴会&翌日の奈良町見学も話しに夢中で余り、写真は撮ってはおりませんが、何枚か有りましたの添付します。
 役立つショットがありましたら貴兄のHPで紹介して下さい。
翌日の興福寺・ならまち散策は、
次へお進み下さい!