第17回京遊会、皆様のお陰で絶好の行楽日和に恵まれて、世界遺産「姫路城」周辺探訪を
十分に楽しみました。大変楽しい会合となりました。 皆様に心より感謝申し上げます。 今回の世話役の岩下利明さんをはじめ皆さんより、メールを頂戴しました。 京遊会の皆様、お早うございます。 ![]() 先日の第17回京遊会「姫路城と書写・広峰」は、お蔭様で天候にも恵まれ和気藹々の裡に無事終了しました。夕闇に浮かぶ白鷺城、ガイド付きの姫路城、話題豊富な懇談等々、アッと言う間に2日間が過ぎました。特に、姫路城には子供の頃から数えれば何回も登っていますが、 ガイド付きの登閣は今回が初めてで大変勉強になりました。 楽しい2日間、本当に有難うございました。 来年は初めての大阪で、「真田幸村と大阪城」、楽しみにしています。 村田さん、お世話になりますが宜しくお願いします。 私も、来年に無事参加できるよう体調の維持管理に励みます。 2015/11/14 岩下利明さん 岩下君、2日間お疲れ様でした、あれこれ行き届いた準備有難うございました。 昨年度欠席で2年ぶりに皆さんにお会いしましたが、元気に近況・昔話等を語り合いながら の姫路パワースポット巡りで、これでまた健康寿命が延びたような気がします。 来年度は、初めての大阪での京游会、これから1年、今回と同様、元気な再会を楽しみに 健康寿命維持に努めます。 幹事役の村田君宜しくお願いします。 2015.11.12 寺田 尚明さん 昨日の京遊会では皆様の元気な姿に出会え楽しく過せたこと、感謝します。 今回の幹事岩下君ありがとうございました。来年度の村田君よろしくおねがいします。 元気な姿で大阪でお会いできるようお互いにがんばりましょう!! 2015.11.13 三木俊作さん ガイドの萩原たか子さんに、電話で御礼を言っておきました。 ![]() 彼女も「たまたまトップで、予約が入っていなかったので…。 「皆さん立派な方々で、さすがに龍野高校はレベルが高いですね。」と感動していました。 2015.11.13 中田 勝康さん 昨夜遅く、那智の滝等からの旅から帰宅しました。 京遊会の皆さん方からのメール拝見しました。 この間は、大変楽しい時を2日間過ごさせて頂きありがとうございました。 感謝しています。 来年も、参加出来るように、体調を維持出来るように努めていきたいと思っています。 2015.11.17 上田裕彦さん 皆様、ご協力有難うございました。 来年の18回京遊会は、11月16日(水)〜17日(木)、大河ドラマ「真田丸」に因んで、 「真田幸村と大坂城」をテーマに日程を組んでみたいと思います。 その節は、皆様にいろいろとお世話になります。 村田 ※本ホームページを記載するにあたり、世界遺産国宝・姫路城、好古園、書写山、 廣峯神社などのパンフレット、及びHP、WEB記事など参考に作成させていただきました。 記して感謝申し上げます。 |
第17回京遊会のUP有難うございました。先程改めて読み直しました。何時もながら、素晴らしい出来栄えに感服しています。 書写山の観光ガイドでお世話になった「姫路市観光案内所」の書写山ガイドグル−プのリ−ダ−加納さん(男性)に今回の旅程がHPにUPされていることをお知らせしましたら、さっそく閲覧されたようで、その充実した内容に大変驚いておられました。 ![]() 加納さんとの話の中で、ご本人は、元高等学校教師で、龍高にも赴任し、龍高31回〜36回までの国語を担当された由、然も高校時代(姫路東高校)には井出先生(我々が卒業して間もなく、姫路東高校へ転勤)に教えてもらったということで、随分御縁のある方でした。 岩下 利明さん 第17回京遊会記録、早速読ませて頂きました。 帰郷後、何度となく訪れた書写山や姫路城ですが、気の置けない旧友とあれこれしゃべりながらまた何れも名ガイド付きの見学で”ふるさと”西播磨の知識を深め、この地の良さを感じました。 今、貴兄編集の記録を見せていただきながら、再度その感を深めました。 長谷川君が、最近ガイド業の充実とボケ防止に川柳を始めたそうですが(ここ数ヶ月で何度かの投稿句が奈良新聞に掲載されたとか)貴兄の京游会HPを見て、私も彼に倣って?、1句作ってみました。 「ホームページ見て 愉しみ倍加の 京遊会」 有難うございました。 寺田 尚明さん |
![]() 姫路城・三国堀前で記念撮影(11/12) 村田、岩下、田中、三木、菊谷、上田、寺田、長谷川さん |
姫路駅前のピオレ(piole)屋上より姫路城を望む |
ピオレ(piole)=神戸SC開発株式会社は、各地でショッピングセンター運営事業を行っています。 神戸SC開発株式会社は、JR西日本グループとして、ショッピングセンターの運営を通じて、地域の活性化に取り組んでいます。駅を通過点としてとらえるのではなく、さまざまなモノやコトが集まる魅力的な場所にすることで、人々の暮らしに潤いを与え、街と人との関係をより良いものに育てていきたい。 そんな思いから、地域の特性やお客様の志向、時代の流れをしっかりと把握し、新しい価値や生活の豊かさを提案していきたいと考えています。 ショッピングセンター一覧 モンテメール、リブ、プリコ六甲道、プリコ三宮、プリコ神戸、プリコ垂水、 ステーションプラザ明石、プリコ西明石、ピオレ姫路 2013年にはJR姫路駅の北側に地上6階、地下1階、店舗面積約13,000uのJR姫路駅新駅ビル「piole HIMEJI(ピオレ姫路)」を開業しました。 JR姫路駅にプリエ3館(現ピオレ姫路ヤング館・ピオレ姫路ごちそう館・ピオレ姫路おみやげ館)と合わせ、店舗面積で約23,000u、店舗数で約200店舗の一大商業ゾーンが誕生いたしました。 |
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![]() (しょしゃざん えんぎょうじ) |
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11月11日(水) 11:30 姫路駅集合後、近くで昼食後、路線バスで書写山ロープウェイ登山口へ。 | |
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![]() 書写山ロープウェイからの景色 |
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一隅を照らす 〜心の中の大切な宝を磨きましょう〜 「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉は、天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんぎょうだいし・さいちょう767〜822)さまが書かれた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭にあります。なお、この部分の『山家学生式』は『天台法華宗年分学生式』(六条式)といいます。 この『山家学生式』は、伝教大師が『法華経』を基調とする日本天台宗を開かれるに当たり、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いを著述され、桓武天皇に提出されたものです。偉大な教育者でもあった伝教大師は、仏教の教えに基づいて自ら進んで善行に努力する人、与えられた持ち場や役割を誠実に務めるリーダー(指導的人格者)、すなわち大乗の菩薩を育成することに心血を注がれました。 ▲伝教大師最澄(767〜822) |
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![]() 皆さん、元気に奥の院まで歩いてきました。 (前列)村田、田中、長谷川、寺田 (後列)岩下、三木、上田さん |
![]() ロープウェイを降りたところで、ボアンティアガイドの壺坂さんと出会い、 ゆっくりと書写山のことを詳しく説明頂きながら奥の院まで案内頂きました。 |
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圓教寺を開いた性空上人(しょうくうしょうにん) 九州の霧島山で修行した性空上人は霊地を求め、この地にきたところ、紫雲がかかっている書写山を見て、この山に入り康保3年(966年)に草庵を開いたとされている。 性空上人の徳はこの地方のみならず、広く都にまで知れ渡り、花山法皇は二度もここを訪れ、圓教寺の名を賜ったという。後白河法皇、後醍醐天皇もこの寺を訪れたといわれている。 また、武将の信仰も厚かったようで、本多、松平、榊原の姫路城主の墓もここに残されている。 それだけに、寺の格式も高く、天台宗の三大修行道場の一つに数えられている。 圓教寺は西国三十三ヶ所霊場の西端に位置する寺である。東の比叡山に対して西の比叡山と称せられているとおり、寺域も広く立派な堂宇も多く建ち並んでおり、文化財も数多く所蔵されているようである。また、ここは紅葉の名所としても有名である。 |
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壽量院(じゅりょういん) 江戸中期の建物、「蔀戸」中門などの寝殿造りの古い形式を備え、内部は、床や違い棚のついた書院造りになっている。 もっと古くには、無量壽院と呼ばれ、承安四年(1174)には後白河法皇がここに七日間こもって観世音菩薩の加護を願われた。(国指定重要文化財) |
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壽量院(じゅりょういん)の精進料理 | |
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![]() 十妙院 |
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![]() 笠塔婆 |
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![]() 別名 弁慶のお手玉石 |
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マニとは梵語の如意のこと。天禄元年(970)創建。本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれました。そのために岩山の中腹に舞台造りの建物となりました。 本尊六臂如意輪観世音菩薩は、1月18日の鬼おいの日に開扉されます。国指定の重要文化財四天王像もここに安置されています。 |
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花山法皇は書写山円教寺へ二度行幸されています。 一度目は寛和2年(986)、二度目は長保4年(1002)という記録が残っています。 二度目の書写山の行幸の時に小松を持ち帰り、御自身と東宮、帝とに各3本ずつを植えさせたという記録も残っています。 書写山の松を都にまで持ち帰り、植えさせるほど上人、圓教寺に焦がれたと考えられ「圓教(えんぎょう)」という寺号にも上人に対する帰依と、院ご自身の希望も感じられます。 花山法皇が詠まれたとされるご詠歌 「はるばると登れば書写の山颪(やまおろし)松のひびきも御法なるらん」 二度目の行幸の暴風雨の中、木々は恐ろしい音を立てて荒れ狂ったことでしょう。この唸りでさえ、仏の声に聞こえたのかもしれません。 |
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![]() 樹齢700年の杉の大木 |
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大講堂(だいこうどう) 圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場。 室町中期の建物で、食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三之堂」(みつのどう)を形成している。 内部は、内・外陣に区切られており、内陣には、釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊、左が普賢菩薩)が安置されている。(国重要文化財) |
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食堂(じきどう) 本来は、修行僧の寝食のための建物。 承安四年(1174)の創建。本尊は、僧形文殊菩薩で後白河法皇の勅願で創建。二階建築も珍しく長さ約40メートル(別名長堂)においても他に類を見ないものである。 未完成のまま、数百年放置されたものを昭和38年の解体修理で完成の形にされた。現在1階に写経道場、2階が寺宝の展示館となっています。(国指定重要文化財) |
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常行堂(じょうぎょうどう) 常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場。 建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂。 北接する長さ十間の細長い建物が楽屋、その中央に張り出した舞台とからなり立っている。 内部は、中央に二間四方の瑠璃壇を設け本尊丈六阿弥陀如来坐像が安置されている。舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。(国指定重要文化財) |
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下化衆生(げけしゅじょう) 仏教用語。この迷いの世界にあって,真理をみずに惑い苦しむ生きとし生けるものを教化し救済することをさす。「化」は「導く」の意。一般に,みずからの理想として,悟りを追求する「上求菩提」の対句として用いられる。 上求菩提(じょうぐぼだい) 仏教用語。菩薩(ぼさつ)が上に向かっては菩提(真理と智慧(ちえ)とが一体となっている悟り)を求め(自利(じり))、下に向かっては衆生(しゅじょう)(生きとし生けるもの)を教化(きょうけ)する(利他)ことをいう。すなわち自利(智慧門)・利他(慈悲門)の菩薩行を要約したことばであるが、菩薩のサンスクリット語ボーディサットバbodhi-sattva(菩提・衆生)を分解して語源解釈を行ったものであるともいう。[伊藤瑞叡] |
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![]() 常行堂(じょうぎょうどう) 常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場。 |
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姫路城主・本多家の墓所 | |
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開山堂 (かいざんどう) | |
圓教寺開山の性空上人をまつる堂。書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核。現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作。 軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。 (国指定重要文化財) |
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![]() 軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、 重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。 |
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護法堂(ごほうどう) 奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社。 向かって右が乙天社、左が若天社。書寫山の鎮守で開山の性空上人に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子をまつっている。 同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ室町末期の神社建築の特色をよく表している。(国指定重要文化財) |
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午後4時15分のロープウェイで下山、予約していたタクシーにて廣峯神社へ参拝。 | |
1578年、官兵衛は織田信長に反旗を翻した荒木村重を説得するため、村重の本拠・有岡城を単身で訪れます。 官兵衛と村重は、かねてより親交があった仲でした。しかし説得は失敗。それどころか、官兵衛は村重に囚われ、9ヶ月間の間、土牢に入れられてしまうことになります。 土牢の中は、陽の光が当たらないジメジメとした所だったと言われています。この時、官兵衛の置かれていた現状は、非常に過酷なものだったことでしょう。 そんな時、官兵衛を励ましていたものがあったと言います。土牢の窓の外から見える、日ごとに大きく育っていく藤の花でした。 |
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![]() 拝殿 桃山時代のもので国重要文化財に指定されています |
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![]() 御師屋敷 今も残る立派な門構え |
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![]() 廣峯神社・社殿の階段から姫路市内が展望されます! |
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![]() 御師屋敷 魚住家 |
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![]() 廣峯薬師堂 |
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![]() 夕闇に浮かぶ白鷺城 |
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![]() ライトアップの姫路城が絶景! |
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![]() 「イーグレキャッスル ミレ」で楽しい夕食会 |
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夕食後、東横INN 新幹線南口 で宿泊 | |
続いて、翌11月12日、姫路城見学をご覧ください! |