秀吉の天下取りの道を歩く

『山崎の古戦場』から『賎ケ岳の古戦場』まで
150KMを4日間で踏破

7月15  中田勝康さんから投稿頂きました

 龍野高校10回生の皆様、お変わりございませんか。
 私もお陰様で今のところ健康に恵まれていますので、今年の5月に、京都府南部の『山崎の古戦場』から、琵琶湖の東岸を経て、滋賀県北部の『賎ケ岳の古戦場』まで、約150kmを、延べ4日間かけてテクテク歩いてきました。
 しかしこう書くと「それがどうした?、それがナンボのものや?」と笑われそうな気がして投稿を控えていたところ、先日さる偉いお方から「72歳でこんな変わったことをする人は少ないので(笑)、話のタネに皆さんにお知らせした方がいいですよ」と、背中を押された?ので、ここに4日間のエピソードを書いてみます。
 昔、豊臣秀吉の家臣に黒田官兵衛という軍師がいました。彼は秀吉に天下を取らせた知恵者であるだけでなく、姫路城で誕生し姫路で育った殿様なので、数年前から姫路市や近郊に住む有志が集まって、『黒田官兵衛をNHK大河ドラマヘ』という運動を展開しています。
 戦国歴史が好きな私も、この会(『播磨の黒田武士顕彰会』)の役員の一人で、一昨年は岡山の『備中高松城』から『山崎の古戦場』まで、秀吉の『中国大返し』の道、約240kmを延べ6日間かけて、宣伝のために歩きました(この情報交換コーナーの一昨年の記事をご参照ください)。
 そして昨年は東日本の大震災があって、東北ヘボランテイアに行ったり、震災義援金の募金活動などで、歴史街道の散策どころではなかったので、今年こそは『中国大返し』の続編として、『山崎の古戦場』から『賎ケ岳の古戦場』まで、秀吉の天下取りの道を歩こうと思い立ちました。

4日間の行程は次のとおりです(地図をご参照ください)。
【1日目】山崎の古戦場→大津市、約35km。
【2日目】大津市→近江八幡市、約40km。
【3日目】近江八幡市→米原市、約40km。
【4日目】米原市→賎ケ岳の古戦場、約35km。

 この4日間は理想としては、前の晩に現地のホテルに泊まって、翌日そこから歩き始めるのが良いのですが、72歳の私には4日間、続けて歩くことは体力的に無理なのと、ホテル代や着替えの問題もあるので、前回の『中国大返し』と同様に、
 【1日目】山崎の古戦場→大津市、が終わったら最終電車で相生市の自宅に戻り、
【2日目】また数日後に、始発電車で大津市に行き、大津市→近江八幡市…を繰り返して、延べ4日間で『賎ケ岳の古戦場』へ無事、ゴールインしました。
 この4日間で、古代から明治維新までの間に、日本の歴史に登場する街道の拠点に、自分の足で立つことが出来たことに感動し、「もっと若いときに来ればよかったなあ」と思いましたが、その他にも道中、いろんな人との出会いがあって、とても楽しく有意義な4日間でした(詳しくは写真をご覧ください)。
 道中、愛妻が一番心配したのは交通事故(車にはねられること)でしたが、「人間いたるところ青山あり」だと思って、堂々と胸を張って歩きましたら、向こうから来るトラックの運転手さんが私の奇抜な服装に驚き、車をサッと中央に寄せて私の安全を守ってくれました。運転手の皆さん、ありがとうございました。
 これからも健康でいられる限り、各地の街道や古戦場を散策したいと思います。


一日目
二日目
三日目

琵琶湖よし笛のホームページ

4日目
平成23年2月24日
金ヶ崎学園大学 第6回学習会・資料
播磨の黒田武士顕彰会・会報 No6

最後までご覧いただき有難うございました。

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