龍野高校10回生 情報交換コーナーへ

平成30年7月豪雨災害

   岡山県倉敷市へ 「復興ボランティア」に行きました
2018年7月22日(日)
2018.7.28  中田勝康さんより投稿いただきました!
 龍野高校10回生の皆様、お変わりありませんか。私もお陰様で毎日、元気に過ごしております。

 さてこのたび、西日本各地では豪雨災害が発生しましたが、私は去る7月22日(日)に、相生市と赤穂市の社会福祉協議会が共同企画した『ボランティア・バス』に乗って倉敷市真備(まび)町に赴き、ボランティア活動をしてきました。
 今月4日(水)の深夜から降り出した豪雨は、テレビが『龍野の揖保川の堤防が下流部分で決壊の恐れがある!』と報じたので、みんな極度に緊張しました。幸い揖保川は無事で安堵しましたが、その後、西日本各地の被害が報ぜられるにつれて、阪神淡路大震災で被災した体験を持つ私は胸を痛めていましたら、神戸新聞に『ボランティア募集』の記事が出たので、すぐに参加を申し出ました。

 私たち30名が乗ったボランティア・バスは朝6時30分に、相生市の社会福祉協議会を出発。途中、赤穂市の皆様と合流して同じバスで西に走り、被災地に到着しました。そして倉敷市ボランティアセンターの指示に従って、近くの小田川の堤防が決壊して、住民の8割が被災した、倉敷市真備町へ向かいました。
 バスの車窓から遠く被災地を見た限りでは、一見、変わった様子はないのですが、近寄ってよく見たらどの家も、畳や家具や日用品は全てゴミとして家の近くの道路脇に出されていたので、私たちはそれを見て息が詰まりました。そしてバスを降りて真備町の現地災害対策本部の指示を受け、私たち30名は5班に分かれて、作業を始めました。
 私の班は午前中に民家を1軒、そして午後にも別の民家を1軒担当し、復旧作業をしました。両家とも大きな家で、お気の毒に1階だけでなく2階まで水に浸かっていました。そして家の壁は竹を割って縦と横に組んだその上に、練った土を厚く塗り付けた昔風の壁でしたが、その土壁が浸水で全て溶け落ちて床にビッシリと溜まっているのを、私たちはスコップで掬い上げ、布の袋に入れて外に運びだす作業を、黙々と続けました。水を含んだ壁土は重くて大変でした。

 私はこれまで兵庫県佐用町の水害復旧をはじめ、京都府南丹市の台風被災地や、東北の宮城県や岩手県へ行き、復旧ボランティアを何度も経験してきましたが、その都度感じるのは、被災地の皆様が私たちボランティアを、本当に心から歓迎してくださることです。まるで救世主が来たように感謝のお顔で迎えてくださるので、私のような者でも「よし、微力ながら頑張ろう!!」という気持ちになります。

 また今回は酷暑の真っただ中にあり、全国的に熱中症の被害が発生していたので、私も熱中症にはくれぐれも注意しないと、私だけでなく大勢の人に迷惑をかけることになると思い、ペットボトルを10本リュックに詰めて参加しました。この熱中症のことは現地の受け入れ本部も同様の思いで、絶えず「休憩してください!休んでください!」と言ってくれました。

 今度のボランティアで、目が洗われる思いをしたことがあります。赤穂市から若い女性が1人、参加してきたので、私はてっきり「短大生かな?」と思っていましたら、後から聞いたら何と高校1年生の女性でした。この可愛い女性が、グループ参加ではなく、たった1人で見ず知らずの大人に混じって、遠く岡山県西部の倉敷市まで肉体労働のボランティアに来たのですから、本当に偉い人です。彼女は「もっと早くボランティアに来たかったのですが、中学生はダメと言われ続け、今度、高校生になったので、ようやく参加させてもらえました。」とのことでした。偉いですね!。ついでに申せば参加者で最高齢者は79歳の私でした(笑)。

 私の愛読書に『「動かない」と人は病む」(講談社)があります。何もせずに家でボ〜 ッとしていたら病気になるらしいので、私はこれからも他人様のためだけでなく「自分自身のためにも」各種のボランティアに積極的に参加したいと思っています。愛妻さんは「そろそろ自分の歳を考えなさい!」と言うのですが(笑)。
  それでは10回生の皆様、お互いに残された人生を楽しくガンバリましょうね。

  

         写真の前列左端が中田です。(前列中央の女性が高校1年生さん)。

               〒678-021 相生市赤坂1丁目12−25
                        中田 勝康 (79歳)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 兵庫県高齢者放送大学  平成29年度特集号
                                          
 六甲全山縦走大会ボランティア   相生市  中 田 勝 康

 古人いわく「情けは人のためならず」と。私はこの「情け」を「ボランテイア」に置き換えて、私自身のために楽しんで活動をしています。平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が発生し、私の勤務先の建物は大きな被害を受けました。当時、私はその建物の管理責任者でしたので、連日、被災地で復旧にあたりました。その時、感動したことは全国から駆け付けてくれたボランテイアの皆様の献身的な姿でした。私も「状況が落ち着いたら、ぜひボランテイア活動をしよう!」と決心しました。

 その後、復興ボランテイアとして水害復興のため兵庫県佐用町や京都府南丹市へ、東日本大震災で被災した宮城県東松島市へ、一昨年の台風10号で高齢者施設が水没し多数の入居者が亡くなった岩手県岩泉町へと駆けつけました。そして、復興ボランテイアから帰宅する度に、真っ先に仏壇に手を合わせて被災者の皆様のご苦労を偲ぶとともに、顧みて現在我が家が平穏無事に生活できることに、心から感謝してきました。

 このような被災地復興のボランティアのほかにも、地元の小学校での「学童見守リボランティア」、高齢者施設で入居者の皆様との「お話し相手ボランテイア」、相生の海岸や姫路城のお堀の「清掃ボランティア」などもしています。中でも私がとても楽しいのは、過去20年間、一度も休まずに続けている「六甲全山縦走大会ボランティア」です。この大会は神戸市の主催で毎年秋に開催され、2000人の参加者が須磨から宝塚まで山道を56キロも歩きます。そしてコースの各所で交通事故や遭難防止のために私たちボランティアが旗を持って誘導します。最近は、「山ガール」が華麗なスタイルで大勢歩いているので、私も元気を分けていただいています。これからも健康に留意して、この「六甲全山縦走大会ボランティア」を心から楽しんで続けたいと思っています。

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