大塚 正宸さんより、感動のメールを頂戴しました!
2011.6.15

仙台の大塚です。東日本大震災の被災地のひとつ東松島市へ、ボランティアバスで駆けつけてくれた中田勝康さんの長文のリポートを拝読し、あらためて心が熱くなりました。
この感動を、龍野高校10回生の皆さんにお伝えしたく、筆(PCですが)を執っています。
「10回生だより」にアップしていただければ幸いです。
 いまだに悪夢としか思えない大震災から、早くも3カ月が過ぎました。発生当時はまだ寒風に小雪まで交じっていた東北ですが、いまは蒸し暑さがこたえる梅雨入り前の季節を迎えています。生活再建が遅々として進まない被災者たちにとって、この夏をどう乗り切るかということも大きな問題でしょう。人々があらゆる意味での「助け」を必要としていることは明らかですが、政治はあの体たらくで話になりません。行政もまた、義援金配布の遅れに象徴されるように、役所仕事の効率の悪さにひんしゅくが絶えません。

  そんな中で、全国各地から大きな犠牲を払ってはせ参じてくれる災害ボランティアたちには、ただただ頭が下がります。「苦しんでいる人々のために何かをしないではいられない」という、ひたすら純粋な善意だけを支えに奮闘する姿。その心に応えて絶望の淵からはい上がろうとする被災者たちの涙ぐましい姿。そこに生まれるある種の共鳴美だけが、目下の救いと言えるかもしれません。

  「いま東松島に来ています」という中田さんからのメールをもらったときは、感謝する前にまず恥じ入りました。自分は震災直後の数日、地域の水汲みボランティアをちょっとやっただけで腰を傷めてしまい、「力仕事はもう無理だな」と自信を失っていました。なのに、同じくご老体であるはずの中田さんが、それもはるばる姫路からのボランティアツアーに参加してくれたとは…。

  そのメールを開いたときは、中田さんの現地入りから既に2日が過ぎており、会いに行くことはかないませんでした。私のメールチェックの怠慢が原因ですが、中田さんとしても遊びに来たわけではなく、たとえ会えたところでゆっくり歓談するゆとりなどなかったでしょう。

  「3.11」を機に日本人の中で、意識であれ、生き方であれ何もかもが大きく変わったと多くの人たちが指摘しています。私も、中田さんの現地報告を読んでますますその思いを強くしました。ただそれは一朝一夕の変化ではなく、阪神大震災あたりから少しずつ熟成が進んでいたものが、今回の未曾有の大災害によって完熟に至ったのかもしれません。

  時には自分の職を辞してまで、被災地でボランティア活動をするためにやってくる若者がいます。本当に驚くほかない現実です。「世のため人のため」とは、昔から言い古された言葉であって、しかもほとんどタテマエとしてしか語られてこなかった言葉ですが、いまやこれが若者の生き方の「指針」になったのではないか、とさえ私には思えるのです。震災後の「変化」の大きなひとつではないでしょうか。

  私も残り少ない人生ながら、世のため人のためにもっと汗をかかなければ、といま自分をむち打っています。中田さんの素晴らしいボランティア精神と行動力が、そのことに気づかせてくれました。翻れば、龍高10回生の絆がこのような機会を自分に与えてくれたのだと思い至り、このサイトに集う全ての皆さんに感謝、感謝です。

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大塚 正宸


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