大塚 正宸さんより 新年のご挨拶を頂戴しました!
2012.1.2

 お元気で新年をお迎えのことと拝察いたします。昨年中は大震災以来、大変お世話になりありがとうございました。新たな年を迎えて、また龍高10回生の皆さんに感謝のメッセージをお伝えしたいと思います。お手数をかけますが、添付ファイルをいつものサイトにアップしていただければ幸いです。併せて、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
龍高10回生の皆さま、ありがとうございました!
 東日本大震災から10ヵ月近い月日が流れ、卯年から辰年へと年が改まりました。ですが、被災者の部類には入らない私も多くの犠牲者の遺族と同様、服喪中の気分で日を送っています。「新年おめでとう」などの常套句はとても口にできず、年賀状を出すべきかどうかさえ迷いました。結局は「年賀はがき」の使用をあえて避け普通の官製はがきで、ひとかたならずお世話になった方だけに年頭のあいさつをさせていただくことにしました。

 龍野高校10回生の皆さまには、あの震災以来、被災地にお寄せいただいたご支援やお励ましに対し、このサイトを借りてあらためて厚くお礼を申し上げます。中には中田勝康さんのように自ら災害ボランティアを買って出て、はるばる相生からボランティア・バスで東松島市まで足を運び汗を流してくれた方もおられました。ほかにも私が知らないだけで、同様のボランティア活動をされた例が恐らくあることでしょう。

 住宅の中に堆積した大量の泥をスコップでかき出したり、海水にぬれた畳を運び出したりする作業は、屈強の若者でさえ尻ごみするほどの重労働です。それをわが同期生が…と思うとただ頭が下がり、そこまでの行動には踏み切れないでいる自分を恥じる気持ちでいっぱいです。
 現地では、ひところに比べて数が大幅に減ったとはいえ、なおも全国各地から駆けつけたボランティアの奮闘が続いています。避難所を出て仮設住宅に移っても、それは単なる一歩に過ぎず、生活再建への道ははるかに遠い。そうした心もとない日々を、物心両面で支えてくれるボティアの皆さんには言い尽くせないほど感謝しています。

 被災者にとって今年は、ふるさとの未来がかかる大事な「再生元年」です。壊滅的な津波被害を受けた地域はいま、がれきがおおむね片付けられたあとに一面の古代遺跡と見まがう光景が広がっています。ここにあった街がかつての活況を取り戻すのは何年先のことか。そう思うと暗然となってしまうのですが、それでも「負げねえぞ」「がんばっぺし」と前を見据えるど根性の持ち主は少なくありません。その意地がある限り、地域の早期再生は夢ではないと私は確信します。
 ただ、それには政治・行政による強力な政策の実行はもとより、全国民的な有形無形の支援と励ましが欠かせません。それも、一過性のことではなく向こう何年にもわたる「継続」が肝心です。

 龍高10回生の皆さん、そうした観点から、今年も引き続き被災地の苦闘に力をお貸しください。ボランティア活動や義援金のような直接的な支援でなくてもいいのです。自分の足で立ち上がろうとする被災者に心を寄せ、応援する気持ちを忘れないということだけでも大きな力になります。放射能に関する根拠のない風評には踊らず、東北のコメや果物、水産物、地酒などの産品を積極的に買う、あるいは国内旅行なら東北の観光地を優先的に訪れる−といった具合です。

 そうした優しい気持ちが広がっていけば、厄介な障害も少しずつ取り除かれていくでしょう。例えば、被災地のがれき処理を他地域の自治体に引き受けてもらうことが(放射線の心配はないにもかかわらず)受け入れ側住民の反対で進まないといった問題が−。

 昨年の漢字は「絆」でした。私自身も今回、長い年月のうちに風化が進んだ絆を結び直され、あるいは新たな絆がつながれ−といったまことに希有な体験ができました。それは、龍野というふるさとがあり、そこで交わった多くの友人知己の存在があるからこそです。もう一度言わせてください。「10回生の皆さん、本当にありがとうございました。そして今後ともよろしく」

      2012年1月2日   大塚 正宸


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