星のまちの史跡巡り 「野はかた野」。清少納言が自然の素晴らしさを枕草子でたたえた里、大阪府交野市。 生駒山系から流れる天野川(天の川)や星田など、星にまつわる様々な地名や伝説が残る「星のまち」だ。 このまちの史跡を巡る仲間たち=写真=の記録や様々な土地のハイキング情報などが、損保会社を定年退職した男性によって発信されている。 |
||||
2002.6/18(火)の読売新聞大阪本社版・夕刊の 「Oh!ねっと」に掲載されました |
||||
◇歴史を歩こう ロマン語ろう | ||||
大阪のベッドタウンとして新しいマンションが立ち並ぶ一方、豊かな自然も残す大阪府交野市。結婚を機にここへ移り住んで三十年という村田義朗さん(62)は、四年半前にホームページ「星のまち交野」をスタートさせてから、この町の歴史と魅力を実感するようになった。サイトの大きな柱も、村田さんが「交野古文化同好会」のメンバーと歩いた「歴史健康ウォーク」の記録だ。
同好会は、一九七二年に交野の歴史研究家、奥野平次さん(故人)らによって結成され、交野の史跡を巡る「歴史散歩」を催してきた。一昨年九月からは「歴史健康ウォーク」として、奥野さんのおいの平田政信さん(54)を中心に、第二、四土曜の午前中の約二時間、身近な史跡を訪ね歩く。 今月八日は、現在のテーマ「石は語る」の実地調査。村田さん、平田さんと八人のメンバーが集まった。田植えがすんだ水田の間のあぜ道を抜けて、街道の辻(つじ)へ。平らな表面に何か所も穴のあいた大きな石を囲んで、平田さんが説明する。 「これは、くぼみ石。昔、子どもらがわらべ歌を歌いながら、石を打ちつけて遊んだために、こんな穴があるんです。ホタル来い、とか歌っとったんちゃうかなぁ」 「パソコンもテレビゲームもなかったもんね」 「誰の穴が深いか、競争になったんかなぁ」 参加者の話は弾む。市内で華道を教える小川悦子さん(61)は、連れてきた孫の桃子ちゃん(5)が、昔の遊びをまねてみる様子に目を細めた。続いて、境内に何体もの石仏が並ぶお寺や、地区の人が小さな祠(ほこら)に集めた石仏を見て回った。専門の石工が彫ったものがあれば、素人が作ったような顔もある。「例えば、何とか子どもの病気を治したいと願って、貧しい人は自分で石仏を彫ったんやろね」と平田さん。庶民の切実な願いが染み込んだ石仏だ。 親しみやすい歴史の証人と言える石仏。同好会では、それぞれに名前を付けてきた。 肩が張った感じなので「フットボール地蔵」。にっこりほほ笑んだ「スマイル地蔵」。第二京阪国道予定地で見つけた石仏は「沈黙地蔵」。本当に住民のためになることをしているか、黙って見守ってるで――地蔵もそういう思いでは、と名付けた。 予定のコースを歩き終えると、全員で感想を話し合う。「細かい年代を調べるのは専門家に任せて、ここでは、ロマンを語ろう」という趣旨なので、近所のお年寄りから聞いた話などがポンポン飛び出す。 隣の枚方市に住む会社員石橋正夫さん(50)は、昨年七月に村田さんのサイトを見て参加。それ以来の常連だ。中角甫さん(74)は、仕事をリタイアしたのを機に同二月から加わり、村田さんに勧められてパソコンも始めた。 村田さんと平田さんには、共通の思いがある。 「交野には、新しく入ってくる住民が多い。その人たちは当然、ここの歴史を知らない。一方で、長く暮らしている人たちも、ゆっくり史跡を巡ることなど、ほとんどないのでは。そんな人たちに『交野はええとこや』ということをもっと知ってほしい」 村田さんは、自分のホームページが興味を持つきっかけになってくれれば、と願っている。「自分も数年前までは会社と自宅を往復するだけの人間だったのですが」 また、同好会発足当時は四十代だったメンバーも今や七十代。若い人たちの参加を待っている。 (田中 里佳)
(C) 2002 The Yomiuri Shimbun Osaka |