長岡京・大極殿跡で 辻先生から分りやすい 奥の深い説明を受ける |
向日神社前の 西国街道を横切り 立派な参道へと入る |
向日神社・延喜式内社 718年(養老2年)創祀 威風堂々とした佇まい |
乙訓寺で楽しい昼食 2000株のボタン寺 |
乙訓寺で早良親王の 無念を思う・藤原種継 暗殺事件に連座 |
長岡天満宮 菅原道真を祀る |
燃えるような花の回廊 八条ヶ池の霧島ツツジ 樹齢約150年 |
八条ヶ池・江戸時代 八条宮が天満宮を 整備改築した時創設 |
八条ヶ池・五月晴れの 池の回廊を歩く |
西国街道:京の東寺口から西走し、久世橋、向日市の中心街を通り、長岡京市の神足、大山崎を経て、西国に向う街道である。 この街道は、長岡京と平安京の羅城門を結ぶ道筋であるから、期限は、平安京の設立時に遡る。 そのため道筋には、歴史的文化遺産も多い。(長岡京跡、向日神社、乙訓寺、長岡天満宮、十輪寺、善峰寺、天王山遺蹟、離宮八幡宮など) 平安時代前期の公卿文人菅原道真は藤原時平の陰謀により、筑前国大宰府に左遷された。政敵への怨みと望郷の思いを胸に秘めながら、西国へ下ったのもこの道である。 長岡京跡:長岡京は桓武天皇朝の初期、延暦3年(784)11月、平城京から長岡京へ遷都。大変慌ただしく、しかし、天皇の強い意思で決行。 長岡京の時代は、10年間、(延暦3年〜延暦13年)、原因は、藤原種継暗殺事件。皇太弟・早良親王の連座。 長岡京遷都の背景:遷都は国を挙げての大事業。山背遷都、大和国〜山背の国。桓武天皇の新都への重いと決意。 長岡京の規模は、発掘調査の結果、東西4km、南北5kmの大規模都城とわかる。 (長岡京、平安京、平城京、藤原京、難波宮など) 向日神社:社伝によると、718年に創祀。平安時代には、山城国五社の一つに数えられた。祭神:向日神火雷神、玉依姫命、神武天皇。本殿(重文)1422年の建築、三間社流造、戦国時代、山城の国一揆の拠点の一つ。 乙訓寺:真言宗豊山派長谷寺末寺。長岡京、平安時代の大寺院。桓武天皇の皇太弟(早良親王)幽閉の寺。785年藤原種継暗殺の連座。後任2年(811年)空海(弘法大師)が別当となる。元禄年間(1688-1704)五大将軍綱吉の母桂背昌院が再興し寺領100石を与える。 長岡天満宮:毎年5月初旬、キリシマツツジが燃えるような緋色に染まる。樹齢約150年、高さ2-3m、花の回廊、最近大々的な植樹で一層壮観となった。 |