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飛鳥を歩く
謎の石造物を中心に

飛鳥の観光など詳しくは★明日香村の公式HPをご参照ください
http://www.sikasenbey.or.jp/asuka/index.htm

歴史ウォーキング行程

飛鳥駅(10:40)→猿石・吉備姫王墓・欽明陵→カナヅカ古墳→
鬼の雪隠・俎板→天武・持統陵→亀石→橘寺(昼食・休憩)→
川原寺→伝飛鳥板蓋宮跡・苑池→酒船石・酒船石遺跡→
飛鳥寺・入鹿首塚→水落・石神遺跡→豊浦寺跡(14:50)→橿原神宮前駅

明日香村の田園風景写真集 飛鳥の石造物遺跡巡り

5月、明日香・酒船石遺跡に行ってきました!!
も参考にアクセスして下さい。


飛鳥を歩くMAP


 7月20日(木)、朝日カルチャーの歴史ウォーキングに参加して、飛鳥を歩いてきました。
 飛鳥には、用途や製作年代が明らかでない不思議な石造物が多くあり、今年2月には、亀形石遺構も出土して、謎解きに拍車がかかっています。これらの石造物や遺跡を巡りながら古代の飛鳥を偲んできました。
 5月初旬には、酒船石遺跡の現地説明会に出掛け、いろいろと飛鳥の史跡、遺跡を自転車で廻り、一通りの知識と地理は頭に入ったつもりでしたが、今回のツアーで更に細かく担当の先生より説明を受け、当時の建物の遺跡の大きさや飛鳥の宮の人々の生活状態なども含めて鮮やかにイメージが広がり、益々「飛鳥の魅力」の虜になってしまった。
 今は、田圃の中にある、伝飛鳥板蓋宮跡あたりに、ゆったりと座るといつしか悠久の古代に帰る。
 高松塚に描かれたような、色とりどりの華やかな、王朝衣服に身を包んだ貴族たちがゆっくりと歩む。北には飛鳥寺の大伽藍が建ち並び、南には川原寺、橘寺。遠くから石を彫る槌の音がカーンカーンと響く。その向こうに見える甘樫丘。頂には、蘇我蝦夷、入鹿の豪壮な邸も見える。耳成山、天香久山も見える・・・・。

 8月には、飛鳥宮から遷った藤原宮を歩き、万葉集に歌われた志貴皇子(しきのみこ)の次の歌の意味を味わってみたい。
 明日香宮より藤原宮に遷居(うつ)りし後、志貴皇子の作りませる歌、

 釆女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風 都を遠みいたづらに吹く

「昔、釆女の袖を吹きかえした明日香風は、今は、都が遠いので、虚しく吹いている――」
 約百年にわたって都のあった明日香から、都が遷ったことによる皇子の空虚な気持ちを表現しているという。藤原と明日香は、地理的にはほんに近いが、心的距離が遠いと。つまり、志貴皇子の気持ちは、旧都・明日香に向かっている。(季刊 明日香風より)


 6世紀から平城京遷都の和銅3(710)年まで、わが国の政治・文化の中心舞台となった飛鳥。ここ飛鳥を拠点に勢力をのばした蘇我氏により、日本初の女帝・推古天皇が誕生し、豊浦宮をはじめ次々に宮が造営された。また、推古天皇の摂政聖徳太子もこの地に生まれ仏教文化を開花させた。太子の没後、蘇我氏はその一族を滅ぼし、専横をつのらせる。ついに大化元(645)年、中大兄皇子と藤原鎌足は飛鳥板蓋宮でクーデターを起こし、蘇我氏を滅ぼした。
 やがて飛鳥時代は終わりを告げ、古代史を物語る貴重な遺跡は、長い歳月、この土の下に埋もれることになったのである。それだけに、大和三山(畝傍山、耳成山、天香久山)が見渡せる飛鳥を歩いていると、石舞台古墳や高松塚古墳などの遺跡、亀石や酒船石のような謎の巨大石が、悠久の時を超えて、古代の壮大なロマンを語りかけてくる。想像カを駆使して、美しい田畑や野の下に眠る、古代人の息づかいを感じてみたい。
(歴史街道推進協議会公認ガイドブックより参照)


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