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日本の書展、「石は語る」の鑑賞と
新薬師寺
志賀直哉旧居を訪ねる
 
2003.2.9(日)、奈良県文化会館から奈良公園・高畑を歩く<周辺地図>

   あをによし 奈良の都は 
            咲く花の 薫ふがごとく 今盛りをり
   
              と万葉集に詠み歌われた冬の奈良を訪れた。

 「日本の書展」で350点余の素晴らしい「書」を充分に堪能し、のんびりと鹿が歩く奈良公園を南に進み、静かな趣のある高畑の地を散策、志賀直哉旧居でゆっくりと文豪の書斎、茶室、食堂、居間などを見学、サンルームで寛いだ後、土塀の辻を抜けて新薬師寺へ。国宝・薬師如来坐像・十二神将をじっくりと楽しんできました。

 午前10時過ぎ、近鉄奈良駅から歩いて5分の奈良県文化会館へ。「日本の書展」も今日で最終日とあって、沢山の方々がお見えになっていた。お目当ての佐藤爽雨さんの作品は、奈良県書道選抜作家の展示室の入って中央よりの時計の側に、掛けられていた。
 あぁ!ありました!近づくと、平田さんが作られた「石は語る」が、生き生きとした息吹を得て眼前に迫ってきた。墨を充分に含んだ筆で佐藤さんが一気に書き上げられた筆捌きは素晴らしい。感動できる者は幸せだ。あぁ、早朝の木洩れ日が降り注ぎ、水辺の光にきらきらと輝いて見えた磐船神社の四社明神。その石仏の前で声を上げて感動した。あぁ美しい。あぁありがたいと心から言える者は幸せだ。そんな記憶が見事に蘇ってきた。私は本当に幸せ者だ。ありがとうございました。

 
以下は、2/6、井関さんから投稿頂いた文章と写真を参考に掲載させていただきました。
 佐藤さんの作品は、「近代詩文」といわれる分野で、『石は語る』を作品にされていました。
この種の作品は「書」に加え、取り上げられた「詩」そのものについても作者と共感できるか、ということが作品鑑賞のポイントで、「ひたむきな心」を取り戻し、率直に感動できる人間を・・・との訴えには大いに共感を覚え、改めて目を覚まされる作品でした。



 
「石は語る」
 交野古文化同好会 平田政信氏作
  感動できる者は幸せだ。あぁ美しい。あぁありがたいと心から言える者は幸せだ。
  人間はいつの頃から、ひねくれてしまったのだろう。

  こんな些細な、当たり前のことに、ひどく心をつき動かされる。ひたむきな心を失わないで。


 「日本の書展」 ― 余禄
 佐藤さんの書かれた『石は語る』が、お馴染み「今日の話はなんでっか?」の平田さんの作だったとは・・・大変親近感が増し、嬉しい限りです。こうして書家のみならず、詩の作者の顔まで見えてくると、書の鑑賞はグッと理解が深まり、楽しいものです。

佐藤爽雨さんの作品を
バックに「石は語る」の作詩者
平田さんもにっこり
交野古文化同好会の
メンバーも「感動できるものは
幸せだ」と記念撮影

 
素晴らしい作品にただただ、感心するばかり。「大和名流展」の中から、顔の見える作者が楽しんで書かれている3点の作品を写真で紹介させて頂きます。
鍵田 忠兵衛氏 作品
宝蔵院流高田派槍術第20世宗家
中田 聖観氏 作品
新薬師寺 貫主
「書」に書かれている文字の意味を
色々と想像しながら観るのは楽しい
大川 靖則氏 作品
奈良市 市長

志賀直哉旧居

〒630-8301  奈良市高畑大道町1237-2 
TEL:0742-26-6490/FAX:0742-26-6490 
 白樺派の文豪「志賀直哉」が昭和4年から9年間住んだ旧居(敷地435坪、建物134坪)。春日山、若草山を見渡せるこの土地はほんとに静かです。現在は奈良文化女子大学のセミナーハウスになっていますが、有料で中を見ることができます。志賀直哉自身が設計したとされるこの旧居は和風、洋風、中国風の様式を取り入れ当時としては、大変進歩的で合理的なものであったようです。
 右下の写真が、志賀直哉の書斎です。数奇屋作りの書斎はわざわざ京都から名大工を呼んで作らせたようです。ほとんどが当時のままで、あの「暗夜行路」はここで完成しました。ここは、執筆に関係ないものは一切排除し、よけいなものを置かず、子供達の立ち入りも禁じていたそうです。この部屋は中に入ることができませんが、窓越しに見学できます。ここは静かで、しかも窓から若草山が借景になった庭が見え、最高の環境で執筆活動に専念していたようです。
 書斎や2階の客間から若草山や三蓋(みかさ)山、高円(たかまど)山の眺めが美しく、庭園も執筆に疲れた時に散策できるように作られていた。
 また、志賀直哉旧居の向かいにある「たかばたけ茶論(さろん)」には、奈良散策の疲れを癒す人たちが立ち寄る。
志賀直哉旧居の中庭で
談笑しながら暫しくつろぐ
名作「暗夜行路」を完結した書斎
(パンフレットより)

国宝・新薬師寺の本堂   新薬師寺 
  〒630-8301  奈良市高畑福井町1352
   TEL:0742-22-3736

 天平19年(747)に光明皇后が、聖武天皇の眼病が治るように行基に建立させ、七仏薬師如来を安置したといわれています。かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院でしたが、現在は本堂〔国宝〕だけが残っています。東門・南門・鐘楼・地蔵堂はいずれも鎌倉時代の建造で重文に指定されています。また「萩の寺」とも呼ばれ、境内全体に高畑独特の静かなムードがただよっています。本尊木造薬師如来坐像〔国宝〕とそれを囲む等身大の塑造十二神将立像〔国宝〕が有名です。
 目を大きく見開いた顔立ちが印象的な新薬師寺本堂の本尊・薬師如来坐像を取り囲んで立つ十二神将の群像は、静動の対象を際立たせ、天平造形美の一大傑作である。

新薬師寺本堂にステンドグラス 

「心豊かな世紀」を願い設置


 奈良市の新薬師寺が計画していた、国宝の本堂へのステンドグラス設置に文化庁から許可が下り、22日、本堂東側の扉の外に新たに木の枠組みを作ってステンドグラス(縦約2メートル、横1メートル)が設置された。
ステンドグラスからの光で神秘的に照らされる国宝「十二神将」=奈良市高畑福井町の新薬師寺で10月22日午後3時すぎ、石井諭写す

 中田聖観(なかたしょうかん)貫主(85)が「心豊かな世紀」の願いを込めて発案。本堂を東方にあるとされる浄土「浄瑠璃世界」の「瑠璃光(るりこう)」で満たされた荘厳な空間にしようと、昨年秋、有志らと設置に必要な賛助金を募り始めた。今年4月に着手式が行われ、奈良市在住のステンドグラス作家、飯村直美さん(58)が制作にあたった。

 国宝であることから県文化財保存課が調査を実施。10月7日、文化庁から「くぎなどを使わないのであれば、建物への影響は軽微」として設置許可が下り、この日、抽象画風の鮮やかなデザインのステンドグラスがお目見えした。中田貫主は「15年来の夢がかなった。1250年の寺の歴史に新たな息吹を加えたい。仏様もステンドグラスも外国からやってきたもの。少しも違和感がない」と話していた。

 開扉式は11月3日に行われる。これにあわせて作られた合唱曲「瑠璃光」が披露され、本堂は歌と光に包まれる。 

【最上聡】 (毎日新聞2002年10月23日朝刊から)


新薬師寺みどころ
国宝・本堂・薬師如来坐像・十二神将立像
期日 内容 摘要
通年
特別開扉
「おたま地藏尊」 鎌倉時代の景清地蔵尊体内から出現。裸形地蔵尊で男性シンボルをつけている等身大の仏像。 香華料300円
12月15日〜3月21日 「香薬師如来」 聖武・光明両帝が尊崇されていた仏像、アルカイックをたたえた微笑の美形、原型から復元した像。 キャンペーン期間中は、本堂の拝観料で拝観できる。

 ほの暗い本堂に足を踏み入れると、一種異様な雰囲気にちょっと、前に進むのを躊躇する。
 中央の円形の土壇の上に、天平仏の十二神将が本尊薬師如来を囲むように外向きに立っている。十二神将は、甲冑に身を固めた武将の姿をし、ほとんどが鉾、槍、剣などの武器を持ち、力強い面相で、激しい動きを表している。さほど大きくない12体の像がひとつになって、圧倒的な力で迫ってくる。その中で、口を開いて大喝し、怒髪天を衝いているのが、伐折羅(ばさら)大将です。
 この像に魅かれるのは、激しい怒りの表現に根源的な人間の怒りを感じるからです。こんな怒りは、現代の平和と飽食の中に浸った我々が忘れ去ってしまったように思えるのです。この像は、怒りの大切さを思い出させてくれます。
 薬師如来は、病苦の人々を救う、現世の利益をもたらしてくれる仏。十二神将は、その薬師如来を護持し、薬師如来に帰依する人々を守る大将だそうです。つまり、この怒りは、衆生とでもいうのでしょうか、他社、庶民を救うためのものです。それを妨害するものは許さないぞという直情的な怒り。
 この十二神将は、塑像です。心木を組み、わらすさ入りの粗土をかぶせて、山土でメリハリをつけ、その上から白土を塗り、最後に彩色を施している。いとも簡単に壊れやすいものが、1250年もの間、形を保って今にあるのです。
 (左の写真と文章は「おとなの奈良」講談社を参照)

 凄い形相をした十二神将に圧倒されながらも、我々庶民の味方、大いに身近な仏に思えた。新薬師寺の「新」は「霊験)あらたか」から付けられた名前だそうで、心も癒されまことに嬉しい限りである。
 
十二神将立像
伐折羅(ばさら)
大将(国宝)


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