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交野郷土史かるた(か行)

かいがけ登れば地蔵が笑う

       か 
   地 の い 
   蔵 ぼ が 
   が れ け 
   笑 ば    
   う 

寺村からの狭崖(かいがけ)の道は長く急な坂道で、傍示(ほうじ)の里にひらけた水田の間をのぼりつめ、峠にさしかかると笑い地蔵があります。
ここは昔、大和と河内の国境で、人の往来が多いところでした。

私部城

       私 
      今 部 
    城 は 城 
    の 名    
    址 の    
       み 

私部城は、戦国時代に交野に本拠をおいた安見氏が築いた城です。当時の記録に「交野城」として登場し、現在は交野のなかでも私部にあることから「私部城」と呼ばれています。堀や土塁がめぐらされ、連郭式(れんかくしき)の城の構造が残っています。このように当時の平城が良好に残されていることは非常に珍しく、戦国時代の城の姿を今に伝える貴重な文化財です。

無量光寺

       軍 
      人 書 
      の 読 
    無 集 み 
    量 ま    
    光 る    
    寺 

軍書読みとは保元(ほうげん)物語や平家物語等を琵琶法師がふしをつけてきかせるものです。
19世紀のはじめ頃、私部の無量光寺の軍書読みは有名で、多くの人々が集まったといいます。
当寺の最初はいつかはっきりしませんが、古い歴史をもつ天台宗の尼寺であったと思われます。現在は浄土真宗の寺になっています。

松宝寺

     月 
      秀 
    夜 山 
    半 の 
    の    
    月    
     

眺望もひらけ、昔から月見に最適といわれたため、月秀山の号をもつ私市の松宝寺は、もとは獅子窟寺にあったといわれる十二院の塔中の一つ、松宝院だったと思われます。現在は融通念仏宗大念仏寺の末寺となっています。

獅子窟寺

      国 
    薬 宝 
  獅 師 の 
  子 如    
  窟 来    
  寺 は 

獅子窟寺は私市部落から東の山の中腹にあり、真言宗高野山派に属しています。
そして本尊の薬師如来坐像は国宝の指定を受けています。
弘仁期(810〜824)の作といわれ、カヤ材の一木造りで、すぐれた刀痕をその眉等に残し、衣のひだが翻波式(ほんばしき)のみごとな衣文を示し、豊かな容姿は木彫像の技巧の頂点に達したかの感があります。

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