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吉備から出雲の国へ700kmの歴史ロマン街道を往く

山陰地方(広島県三次市・島根県)に
弥生文化遺跡を訪ねて

大阪府文化財センターと池上曽根史蹟公園協会 共同企画



歴史ツアー、どうぞごゆっくりとお楽しみ頂ければ幸いです

広島県立みよし風土記の丘と鉄の資料館
平安時代の巨大柱が発見された出雲大社境内遺跡
出雲市の古墳、西谷古墳群・今市大念寺古墳
相次ぎ青銅器が発見された荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡

たくさんの方々にホームページをご覧頂き
貴重なご意見、ご感想を頂いています。
ご意見、ご感想はどうぞこちらへ

歴史ツアー日程

 12月2日(火)

新大阪(8:00)→阪神高速→中国自動車道(昼食)→三次市・広島県立みよし風土記の丘・広島県立歴史民族資料館(三次インターより10分)→島根県飯石郡吉田町・鉄の歴史博物館→出雲市(ツインリーブスホテル出雲に宿泊)

 12月3日(水)

ホテル8:00出発→出雲大社→古代出雲大社模型展示館「雲太」→今市大念寺古墳→西谷墳墓群→荒神谷遺跡→昼食(出雲そば)→加茂岩倉遺跡→山陰自動車道→米子自動車道・大山を仰ぎ見る→中国自動車道→新大阪(19:20)


思い出深い山陰バスツアー

 12月2日〜3日と、広島から島根の文化遺跡巡りのバスツアーに出掛けてきました。
今回のツアーは、大阪府文化財センターと池上曽根史蹟公園協会が「山陰地方の弥生文化遺跡を訪ねる歴史ツアー」として共同企画され、各訪問先の遺跡等の解説案内を当地の教育委員会を通して依頼された本格的な歴史ツアーで、各地・各遺跡の学芸員の皆様の解説も大変分かりやすく素晴らしい歴史ツアーを満喫してきました。また、お陰さまで良い天候に恵まれて、思い出深いバスツアーとなりました。

 今年7月に、「山陰VSヤマト」〜交易から弥生文化の実像にせまる〜のテーマで、山陰弥生文化公開シンポジュームがNHKホールで開催され、是非とも山陰地方の文化遺跡に触れたいと思っていましたので、今回その夢が実現でき本当に嬉しく思っています。

 最初に訪れた広島県三次の県立みよし風土記の丘は、開設されてもう20年になるそうですが、広島県の古墳の1/3が集中しているところで、広大な丘(30ヘクタール)に170基ばかりの古墳が保存され、最近建て替えられた県立歴史民族資料館の立派な建物に圧倒され、県外との関連資料もあり充実した遺物・展示物にも驚きました。

 また、次に島根県飯石群吉田村のたたら製鉄の展示館に行き、1200年前から野たたらの歴史があり、現在もたたら製鉄の技術を伝えようと「たたら」を復元記録されておりました。「たたら」の炉を造るのに4ヶ月を要し、3日3晩かけて砂鉄と炭で鉄を作る様子をビデオで見て感動しました。

夕食は、厚生年金会館で心づくしの和食をゆっくりと頂き、一畑電気鉄道経営のおしゃれなツインリーブス出雲で1泊しました。


  広島県三次の県立みよし風土記の丘は、開設されてもう20年になるそうですが、広島県の古墳の1/3(3000基余り)が集中しているところで、広大な丘(30ヘクタール)に円墳が152基、全部で170基ばかりの古墳が保存され、まるでゴルフ場のような広さで、周りの山々がずーっと遠くまで見渡せる素晴らしい景観でした。周囲の山々の高さは、200m〜500mぐらいだそうで、見通しの良い地形にありました。
 国史跡 浄常寺・七ツ塚古墳群(昭和47年(1972)10月12日指定
円墳、方墳、前方後円墳、帆立貝形古墳など、5〜6世紀に築造されたと考えられている。
 

 翌日は、朝の8時にホテルを出発、8時30分、巨大な注連縄が吊るされた出雲大社に参拝、厳粛な境内を歩き平安時代の巨大神殿の柱跡など見学、古代出雲大社模型展示館「雲太」で、復元模型など見て古代から中世までの出雲の歴史ロマンに酔いしれました。

 また、島根県随一の前方後円墳今市大念寺古墳(JR出雲駅近く)を見学し、見上げるような大型石棺に驚き、最近確認された弥生時代(2世紀ごろ)の山陰地方特有の四隅突出型古墳(西谷9号墳)も見学でき感動を覚えました。


      
      出雲大社境内遺跡(いずもおおやしろけいだいいせき)の見学


 巨大な注連縄が吊るされた出雲大社に参拝、厳粛な境内を歩き、平安時代の巨大神殿の柱跡など見学した。上記の写真は、出雲大社の拝殿を背に本殿前で、出雲市教育委員会の方から、巨大神殿の柱跡の出土状況などの説明を受けている状況です。次から次へと質問が出て、予定時間をオーバーするほどの見学会でした。
 画面左(南東側柱跡)及び、たくさんの方が集まっている足元に赤い丸印(宇豆柱跡)がありますが、2000年10月に確認された巨大神殿の柱跡です。

 続いて、今回の旅のお目当ての荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡など、現地の発見現場に足を運んで実際に学芸員の方からお話を伺いながら見学出来たことは本当に良かったと思っています。

 荒神谷遺跡は、昭和59年7月、町南部の農道建設予定地から弥生時代の銅剣358本が出土したニュースは瞬く間に全国を駆け抜け、沢山の学者や古代史に関心を持つ人たちが毎日毎日列を成して荒神谷を訪れた。翌昭和60年、銅剣の近くにまだ青銅器が眠っているのでは?と、最新鋭の金属探知機で地下を探したところ、銅剣が見つかったところから東7mの地点で、今度は銅鐸6個と銅矛16本が同時に発見された

 加茂岩倉遺跡は、加茂岩倉遺跡は、平成8年10月14日に農道整備の工事中に偶然発見された。知らせを受けた加茂町教育委員会と島根県教育委員会は、急遽現場に駆けつけ作業の中止と現状を変更することのないよう申し入れ、その後の調査で、史上最多の出土数となる39個の銅鐸が確認された

なぜ、こんな所に沢山の銅鐸や銅矛、銅剣が埋納されていたのだろうか?

広大な出雲平野と宍道湖、静かな田園風景、またのどかな山里の雰囲気など出雲神話に彩られた歴史ロマンを十分に堪能してきました。

今回の歴史ツアー、どうぞごゆっくりとお楽しみ頂ければ幸いです。

神名火山(かんなびやま)・仏経山(ぶっきょうさん)
荒神谷遺跡の史跡公園・2000年ハス池に勇姿を映す
出雲国風土記に出てくる四つの神名火山の一つとされる標高366mの山。
「かんなび」とは「神がかくれこもる」という意味で、
古代から信仰の対象として崇められていた。

2000年ハス
・2000年の時を経て今も花を咲かせるハス
6月中旬頃、約5000株、五万本の花が咲き、古代の世界へと誘います




なお、本ホームページは、当日頂いた共同企画の資料及び各遺跡地区で頂戴したパンフレット及び参考資料など、インターネットの関連情報を参照して作成しました。
各位に対し深く感謝申し上げます。

参考資料 
鉄の歴史村(鉄の歴史村地域振興事業団)
山陰とヤマト 山陰弥生文化公開シンポジューム資料
出雲の王墓を掘る(西谷墳墓群現地説明会資料)出雲市教育委員会
国宝・銅剣・銅鐸・銅矛・荒神谷ガイドブック(島根県斐川町教育委員会)
荒神谷・加茂岩倉遺跡(島根県埋蔵文化財調査センター)
山陰地方の古代年表

たくさんの方々にホームページをご覧頂き、貴重なご意見、ご感想を頂きました。
心より御礼申し上げます。

mailto:murata35@nifty.comご意見、ご感想などろしくお願いします(^。^)
2005.1.2
山陰ロマン紀行全部見まして感心しました。X印の写真のクローズアップしての説明がいいですね。古代出雲博物館のことを別途連絡しますのでよろしく。

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>                        2004年11月号  
>     
>      島根県立古代出雲歴史博物館ファンクラブ             
          
>        メールマガジン ”夢工房・出雲れきはく”
>                             
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> ニュース!
> 大社町に建設中の古代出雲歴史博物館、その工事フェンスに地元の中学生や高校
生、地元大社町の「歴博モニタークラブ会員」が古代出雲をイメージした巨大絵画作
品を掲出しました。
> http://www2.pref.shimane.jp/kodai/fence.htm
>
> 歴博展示品アラカルト!
> 今回は、安来市かわらけ谷遺跡で発見された「金銅装環頭大刀(こんどうそうかん
とうたち)」です。修復も終わり、装飾に施された古代の黄金の輝きがよみがえりま
した。そして、古墳時代のものとは思えない刀身の輝きとその鋭利な刃。今、県立博
物館で展示しています。ぜひ実物を見てね。
> http://www2.pref.shimane.jp/kodai/about-kodai/arcr.htm
>
> しまね古代史研究秘帳!
> 旧暦10月は「神無月」。でも出雲では「神在月(かみありづき)」なんです。何
故かって?う〜ん(^^;)、とりあえず、ここ読んで。
> http://www2.pref.shimane.jp/kodai/about-kodai/arekore.htm
>
> ファンクラブ会員だより!
> 今回は、安来のトシさんからおたよりをいただきました。会員の皆さんからのおた
よりお待ちしています。
> http://www2.pref.shimane.jp/kodai/about-kodai/kadayori.htm
>
> 関連サイト!
> 島根県の広報誌「シマネスク」に「荒神谷青銅器」と「出雲大社」の特集が掲載さ
れました。こちらも読みごたえ十分!
> 荒神谷青銅器特集↓
> http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/53/menu01.html
> 出雲大社特集↓
> http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/52/menu01.html
>
> ※県立博物館企画展・「国宝☆荒神谷の輝く遺産」及び「神有月古代シンポジウ
ム」は無事終了しました。多くの皆さんのご来場・ご参加誠にありがとうございまし
た。
> ※「古代出雲歴史博物館ファンクラブ会員」については、お陰様で会員数3500
名を超えましたが、引き続き会員募集中です。お近くのお知り合い方にも入会してい
ただくよう、お声を掛けてください。
>
> =================================
> 発行☆島根県教育庁古代文化センター
> 〒690−8502 島根県松江市殿町1番地(県立博物館内)
> TEL.0852−22−6725
> FAX.0852−22−6728
> Eメール kodai@pref.shimane.jp
> ホームページ http://www2.pref.shimane.jp/kodai/
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2003.12.21
 大変ご活躍の様子で何よりです。
 自国の歴史・考古学類を観ることは遠いい先祖の思想・郷土に合った政治・庶民生活に至る様子を想像できる楽しさがあって時を忘れさせてくれます、私も機会合って出雲大社に参拝いたしたことがありますが、安芸の陶文化とは又、異なった様に感じしたが、何れにせよ日本文化の源流かととも思います。
 私共の年齢になると感動・感性とも衰えて来ますが貴殿は、良い趣味に進んで居られる様子で精々元気な間「感動」を 求めてお過ごし下さい。
2003.12.20
 今朝は思いがけない銀世界。寒さも忘れて暫く眺めていました。
山陰の旅のHP楽しく見せていただきました。ゆったりとした風景のなかに、沢山の神話や歴史。楽しい旅だった事でしょうね。
写真もステキでした。今年も家に居ながらまるで旅をしている様に思えるほどの、ていねいで解りやすい解説のHPを沢山ありがとう。
今雨の音がしています。少し冷えてきました、雪になるのでしょうか。
どうか風邪など引かれませんように。
200312.20 
山陰旅行。ダイナミックな遺跡の数々。
そして貴殿の迫力あるレポートに感激しながら、一気に読ませて頂きました。
  私の出雲大社の思いでは、10年ほど前、松江の営業所の事務員さんの結婚によばれた帰り、飛行機に少し時間があったので、会社の連中とお参りに行った時のことです。
 丁度その日は「神無月」最後の日。出雲では「神有月」の最後の日で、大社の神殿では、日本中の神様が集まって、別れの儀式をしていました。私を筆頭に、社員一行は厚かましくも、ノコノコその神殿に昇って、儀式を目の当りにながめました。神様達はちょっと驚いた様子でしたが、特に咎めなかったので腰を据えました。
 八百万とはいいませんが、実に沢山の、神主姿に身を固めたの神様が、次々と神殿の奥から現れて、初めて見る贈物を授かるような儀式を、長々としていました。明日から日本中に散る神様に、大国主命から贈物を授ける儀式だったかも知れません。と、今も思っています。
 普段なら賽銭もあげず、神殿に昇るような行動はできなっかた思いますが、披露宴でよばれたお酒が、残っていたから平気で出来たからに違いありません。
2003.12.20
 山陰歴史ツアー拝見させて頂きました。数々の古い遺跡、出土品、永い時を経ても美しいたくさんの銅鐸、本当に驚いたり感心したりしております。また折に触れ何回も見せて頂き楽しませて頂きたいと思っております。素晴らしいHPを本当に有難うございます。
 
前回の湖東三山は如何でしたか、お天気も良く紅葉も美しく素晴らしい旅だった事と思います。私も県民講座で室生ダム方面へ行きましたがチヨッピリ疲れました。 来年またKSSの会に参加させて頂くのを楽しみにしております。

寒さが一段と厳しくなってまいります、どうぞお風邪を召しませぬ様にご自愛下さいませ。 
2003.12.20
 本当にお久しぶりですね。
 村田さんの古代ロマン紀行文や写真を拝見させていただき自分も共に旅をしているような錯覚に陥りました。私は5年前早朝大阪を車でたち日帰りで念願の出雲大社の参拝にまいり、荘厳な社に感動し身の引き締まる思いをしたことを思い出しています。あれだけの古代遺跡が残っていると言う事は相当な位の(卑弥呼とかかわりの深い)人物がいて文化の重臣を担っていたのでしょうか?想像するだけでも夢が膨らんできます。
 村田さんはその感動を独り占めしないでみんなに歴史に興味を持てるように分かりやすく伝えていただくところは素晴らしいと感じています。これからもいろいろなところを旅されて私たちにも教えてくださいね。よろしく。今日は大変風が強く寒さも一段と身にしみる1日でしたね。
 どうかお風邪など引かれませぬよう良いお年をお迎えくださいませ。

2003.12.19
お久しぶりです。山陰の歴史ツアーのHP分拝見いたしました。
拝見しました私なりの感想を綴らせて頂きました。
 
> 本日、「古代ロマンあふれる山陰地方の弥生時代の文化遺跡を訪ねて」
> 朝8時にホテルを出発して8時30分出雲神社に参拝、平安時代の巨大
> 神殿の柱跡など見学、復元模型などを見て古代の歴史ロマンに酔いしれました。

・上記古代出雲神殿関係資料展示が、かなり充実しているのを知りました。
 建築関係者間の通説は、超高層建築物と同様の柔構造(柳のように揺れて地震力を低減し崩れるのを免れる構造)だとされていまが、どうもそれだけでは今ひとつ説得力を欠きます。何故なら、古代建築物には秘められた古代の宗教性や呪術性や古代思想を踏まえて考えられませんと、本当の姿は見えてはきません。
ヒントとなるのは、日本には無く、インドや中東に根ざした建物だと言え、神道の神社にされてますが、元々神社とは何だったのかが分かりませんと、謎は解けない仕組みになっています。
・三本合成柱も、建物の柱配置から構成される格子自体にも深い意味が隠されており、かなりヘブライ的な数秘術が駆使された建物だと思われます。
・私自身、京都・滋賀・奈良と古代建築や遺跡廻りをしている最中ですが、それらに秘匿された古代人達の建物に鏤められた意図が、色々解りましてさもありなんと頷いている次第です。
・特に古代建築物に関しては、古代の日本人が建てたと考える事自体が歴史を無視した考え方で、実際ペルシャ人やインド人(ヘブライ系)達工人が建設に関わっている事実を、余り私達は、分かっていません。
 
> 今回の旅のお目当ての荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡など、現地の発見現場
> に足を運んで実際に見学して本当に思い出深い旅になりました。
> なぜ、こんな所に沢山の銅鐸や銅矛、銅剣が埋納されていたのだろうか?

銅鐸や銅剣の柄などに記された×印は、王・大いなる神・大いなる存在を表す(スワスチカ)とも言われています。古代フェニキアやシュメ−ルなどで使われた岩刻文字で、朝鮮・中国渤海地域を経由したり、また海路で南シナ海を、北上し日本に渡来した人達が、日本海側に弥生時代以前から住み付いていた証だとも言われています。
 (日本最古の文字と女神画像等著書参照−川崎真治氏著etc)

 上記の古代の出雲神殿同様、先日奈良の東大寺と、法隆寺に見学に行きましたが、京都の古代建築物とは明らかに違う凡ユ−ラシア的と言いますか、国際性を伽藍配置や建物の造り込み方や、全体配置計画などの風情に感じた次第です。
 建物に秘められた建造者や工人達の思いや意図や意味が、分かって見ますと、仏式の建物の衣を被っていますが、その本当の姿は、全く違う物だと言えます。また特に法隆寺に関しましては、聖徳太子絡みですので、通常の見方をしても、建物に秘められた意味など、全く分からないと言われるのも頷かざるを得ません。日本人の寺社を見る目は、余りにも仏教だと言う固定観念が定着し過ぎているからでしょうね。何も見えませんのは。
(参考書籍・聖徳太子の正体、興亡古代史−小林恵子氏著他)
 以上、独断偏見混じりで、勝手ながら綴らせて頂きました。
今後共宜しくお願い申し上げます。      
2003.12.19
 山陰歴史ツアー拝見しました。
島根県は主人の単身赴任の時に何回か訪れ、出雲大社、各地の温泉巡りをしましたが、
ただ観光だけで観てきただけですので、色々と歴史がある事を知りました。
明日から一段と寒くなるようですので、お体にお気をつけくださいませ。
2003.12.19
 貴重な歴史資料ありがとうございます
大阪時代に山陰も担当でしたので、今回の場所は「たたら製鉄」を除いてすべて足を延ばした所です。それだけに興味深く拝見しました
大量の歴史記述は丹念に読み返えしたいと思います
 ありがとうございました。
2003.12.18 
 古代ロマン溢れる山陰の歴史ツアー、45頁に及ぶHP、ご一緒させてもらった私にとっては家族や知人に自慢して話せます。そして古代の歴史をそしてロマンに満ちた旅を満喫するすることが出来たことに幸せを感じながら拝見しました。
記憶力の乏しい私にとって、村田さんのHPで認識を確実なものにしプリンターで印刷して幾回も読み返して重宝にさせてもらってます。
今後ともよろしくお願いします。
  今年も余すところ13日となりました。5月には東北へ12月には山陰方面へ、古文化同好会の皆さんのおかげで「特に村田さんのおかげで」今年も私なりに充実した年を過ごすことができました。
200312.18
 先日、「日本神話の英雄たち」(林 道義著 文春新書)を読んだところでした。
スサノオやオオク二ヌシのことをも述べられていました。小生の父母・祖父母とも備中(岡山県北部の成羽町)の出身で、子供の頃、お祭りには必ず備中神楽が奉納され、それを見るのがなによりの楽しみでした。
その中ではスサノオのおろち(大蛇)退治がクライマックスで、オオク二ヌシの国譲りなども演じられており、その頃から出雲の神様に興味を持ち続けている次第で、いずれは貴兄の訪ねられた跡も追ってみたいとは思っています。
ただ今回の旅で、岡山の吉備津の古墳群が抜けていたのは残念でした。
次の機会にぜひ行ってみてください。
2003.12.18
 ご無沙汰しています。
昨日ご案内いただいた「古代ロマン溢れる、山陰の歴史ツアー」HPを拝見しました。
チョット見るつもりが、あまりに面白くて、ぐいぐい引っ張り込まれて、時間を忘れて一気に楽しんでしまいました。いやー、ロマンですね。ロマンがいっぱいで実に楽しかったです。
もし、あのような歴史ツアーがあれば是非とも参加させていただきたいと思いました。

それから、有池遺跡のHPも興味深く拝見しました。
アソコは自転車で先日も通ったのですが、十分な知識が無く、ただ面白そうだなと眺めていただけでした。中世の掘立柱建物群があったのですね。今度また興味を持ってみてみたいと思っています。

私もようやく元気になったので、前から希望していた「交野歴史健康ウォーク」に来年から是非参加させていただきたく思っています。日が近づきましたら、ご連絡させていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。

2003.12.18
 「山陰歴史ロマン紀行」、拝見いたしました。
素晴らしく、また充実感あふれるHPを見せてて頂き、感動致しました。
一度尋ねてみたいと思っていた所だけに、その思いを一層強くしました。
有難うございました。
2003.12.18
「山陰歴史ロマン紀行」、お陰様でゆっくり山陰を訪れた気分になれました。
出雲大社へは 40年程前に今は亡きKさんたちと訪れました。その後随分色んなものが発見されたのですね。本殿の想像図に驚いていると 復元模型が又凄い!
10分の1であんなに大きいのですね。
1.3mもの柱をクレーンもない時代に如何して立てたのでしょう!?
口遊「雲太・和二・京三」も覚えやすくって面白いですね
又 銅鐸のこと 平田さんの説明も ここで読ませてもらって より理解が出来たという感じです。
2003.12.18
 「山陰歴史ロマン紀行」、素晴らしい力作をありがとう。
参加出来なかった私にもよく分かりました。
出雲神殿には何回か出かけましたが、雲大の模型が出来ているのは初めて知りました。
出雲巨大神殿については宮本長二郎工学博士指導の下に建設会社のエンジニア、大工鍛冶職人等のプロジェクトチームが「三本組柱金輪じめ他の謎解きをしたときの様子が2001年NHKで「古代出雲神殿、巨大構造物の謎とき」というテーマで放映されて反響を呼びました。問題はこの巨大神殿を誰が作ったかということです。私はこの謎解きに挑戦しようとしています。
問題を大胆に推理し、実証するのが私の手法(ロマンを科学する)です。
現代の20階建てのビルにも相当するほど高い(16丈、約48メートル)木造建築を建てるのはコンピュータの無い時代にどのように設計されたのか?
若し、倭人(縄文人?弥生人?)が建てたのであれば、近隣に類似の建物の痕跡が多数あり、それらの経験が巨大神殿を完成させたと見るのが出来ます。
出雲巨大神殿類似の建物痕跡は勿論、出雲巨大神殿に用いられた「三本組柱金輪じめ」などの技法も類例は残されていません。
従って、「渡来人が関与している筈である」と類推しています。
このテーマを2002年北京で開催された「徐福国際フォーラム」で「新徐福考」として発表し反響を呼びました。
詳細は『アジア遊学』勉誠出版2003年6月Vol52.に発表しています。

ところで、大阪城三の丸発掘現場説明会も大変興味深いものでした。現場説明会では本物の出土品を見ることが出来るので、近隣であれば出来るだけ足を運ぶことにしているのですが、今回は私の事務所に近いところでした。
参考資料と写真添付します。
追って、HPに記載させていただきますので、暫くお待ち下さい。

2003.12.18
 急に寒くなりましたね。
山陰への歴史ツアーに参加され、収穫が大きかったようでHPの写真や文章で臨場感が伝わってきました。  銅剣・銅鉾が古墳から沢山出土している場所だという認識があるだけでしたから、お陰で勉強させてもらいました。  帆立貝形古墳があるのは初めて知りました。
昨年私も出雲に行きましたが、陶芸家を訪ねる旅でした。
宍道湖のほとりの静かな御宅を訪ねたところ、2−3年前に脳梗塞で半身不随となられ、制作できない状態になっておられ、息子さんが後を継がれていました。  今残っている作品を全て見せて頂きましたが、もう出来ないのかと思うと残念でなりません。 バーナードリーチや河井寛次郎に教えを受けた方で形・色使いが洒落ていましたのに。
大山といえば、あいのメンバーと数年前に一泊旅行に出掛けた事があり、大山の頂上へ4人で登った事や静かな田園風景をなつかしく思い出しております。
寒くなります折、くれぐれもご自愛の程、お祈り申し上げます。
2003.12.18
今晩は。いや、もう、おはようございますの時間ですか。
今年最後の大作、「山陰歴史ロマン紀行」いま見ている途中です。
広島県立みよし風土記の丘と鉄の資料館まで来ましたが、写真のダウンロードに時間が掛かっているようです。
先日はウィルスの件でご助言有難うございました。貴兄も抹消に励んでおられる由、安心しました。今朝も3件退治したので、先程、今地元の懸案事項を夜なべでようやくまとめ終わり、寝る前にウイルス入りのメールを退治してやろうと開いたら、なんと件のウィルスメールは1件も無く貴兄からの便りだけでした。
いい旅をされたようで何よりです。
私は旅と言えばどうしても、先ず温泉、次いで酒、料理、宴会とどうも俗っぽい方が性に合うようです。
それでは、又。
2003.12.17
 山陰地方「弥生文化を訪ねて」を拝見いたしました。
 古代出雲文化圏の背景を考えるうえで鮮烈な衝撃を与えたのが何といっても1984.85年神庭荒神谷遺跡での銅剣358本を含む大量の青銅器群の発見でした。
 それから12年、神庭荒神谷遺跡からわずか3.3キロの加茂岩倉遺跡で、39個もの銅鐸が発見され、出雲の地は青銅器文化の一大中心地として古代史を研究するうえで大きな鍵を握る地域となりました。
この神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡と同じ弥生時代、出雲とその周辺には四隅が奇妙に突出した独特の墳墓があり特色ある地ですね。私も娘のソフトボールの試合応援で島根に行ったとき地元の人の案内で加茂岩倉にもいきましたが、そのときはまだ発見当時の復元模型はなかった。写真が展示してあった。
 村田さんのHpを拝見し昨日のことのように思い出されました。
 出土地形からみても交野の山裾からも可能ではないか?
  青銅の神との出会いを夢みながら・・・・・・。

詳細については次へお進み下さい

広島県立みよし風土記の丘と鉄の資料館

平安時代の巨大柱が発見された出雲大社境内遺跡

出雲市の古墳、西谷古墳群・今市大念寺古墳

相次ぎ青銅器が発見された荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡

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