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広報 かたの 特集シリーズ


歴史民俗資料展示室へようこそ かたの歴史探訪
ー獅子窟寺ー
 私の家から歩いて25分のところにある獅子窟寺、ときどき気が向いたときにお参りをします。
 お寺への参道はハイキングコースにもなっていて、春はサクラ・ツツジ、夏はサツキ・ホトトギス、秋は紅葉が楽しめます。また、境内からの眺めもすばらしく、本堂で参拝した後は、石段を上って獅子岩や辨天岩、三十三観音めぐりや龍岩窟などを巡るのも良いでしょう。
 今回はそんな獅子窟寺を取り上げ、その歴史や、獅子窟寺とその周辺に残されている文化財、歴史民俗資料展示室にある土器を紹介したいと思います。

 

獅子窟寺の歴史
 獅子窟寺は寺伝によると、奈良時代に修験道の開祖と言われる役小角の開基で、聖武天皇(724〜749年)のころに行基という僧が堂塔を建てたと伝えられています。さらに平安時代の初めに真言宗の開祖、空海が獅子窟寺で修法されたと言い伝えられています。
 文献には平安時代の終わりごろに「獅子石屋」として見え、当初は修験のための霊場であったようです。
 鎌倉時代には、静仁法親王や、その甥の亀山上皇などが寺を訪れるなど皇室とのつながりが深くなり、寺はいっそう大きくなります。室町時代には、12の子院を持つ大寺院へ変貌します。
 しかし、元和元年(1615年)、徳川家が豊臣家を滅ぼした戦い「大坂の役」で、獅子窟寺は豊臣方から加勢を命じられますが、これに従わず、焼き払われてしまいました。
 その後、江戸時代に光影和尚によって再建されますが、大寺院のころの10分の1にもおよばない大きさで、現在に至っています。
 

獅子窟寺

 


薬師如来坐像
 

国宝の薬師如来坐像
 獅子窟寺本尊の薬師如来坐像は、昭和43年3月16日に国宝に指定された、平安時代の弘仁期(810〜824年)の代表作です。
 薬師如来とは、文字どおり「薬師(医師)」の仏さまで、西方浄土の教主である阿弥陀如来のちょうど対極の、東方浄土に住む仏さまです。
 寺伝によりますと、この仏像は一刀三礼(1回彫るたびに仏像を3回拝む彫り方)しながら、3年3か月の歳月をかけて、行基菩薩が刻まれた像で、特に授乳のご利益があると伝えられています。
 高さは92センチ、眉、切れ目、口唇などと、衣文の鋭い翻波様式の模様に平安時代初期の特徴があります。また、薬師如来は通常薬壷を持つのですが、この像は珍しく宝珠を持っています。
 獅子窟寺が焼き払われたときも、この像は獅子窟寺の子院のひとつである塔頭吉祥院の僧が大和までかついで運び出したため、焼失せず現存しています。

※薬師如来坐像は、現在、改修工事のため公開していません。

 

亀山上皇と王の墓
 獅子窟寺への山道の途中、仁王門跡の石組みがあります。そこを左に曲がって山道を下り100メートルほど進んだところに「王の墓」と呼ばれる亀山上皇(亀山院ともいう)と皇后の供養塔が2基並んでいます。この亀山上皇は、私市とつながりの深い上皇で、獅子窟寺の薬師如来に病気の回復を祈願し、そのご利益で病気が治った上皇は大喜びし、滞在した場所に観音寺(現在の廃千手寺)やその寺を管理するための田を寄進しました。
 現在この地域にある「院田」という地名は、この名残と考えられています。
 

王の墓

 

極楽往生を願う蔵骨器
 この亀山上皇と皇后の供養塔がある付近は「百重が原」と呼ばれ、ここの周辺から、2個の蔵骨器(骨壺)が出土しています。
 一つは真言を刻んだ「梵文光明真言刻銘瓦質土器」と言われる室町時代の蔵骨器です。大きさは高さ16.9センチ、口径21センチで、器の表面には細かい錐状の工具で浄土変真言や光明真言などのありがたいお経が2行1単位で21回も刻まれています。
 お経の内容を要約すると「大日如来の諸力によって、死よりの恐怖を破壊し、もしこの死者が地獄に堕ち苦しんでいる場合でも、光明真言の力で地獄を破り脱し、極楽往生へ転生するように願う」という内容です。
 もとは土砂加持(土砂を清め、法力を付与するもの)の際に使用される容器と考えられますが、後に蔵骨器に転用された可能性が高い土器で、平成12年に交野市指定文化財に指定されました。
 もう一つの蔵骨器は、高さ23.5センチ、口径20.6センチの火消壷形で、内部には火葬骨が納められていました。
 いずれの蔵骨器も王の墓を中心とする中世墓地に埋葬され、死者を地獄から救う葬送の形が立体的に造られており、鎌倉時代の終わりごろの葬送様式が分かる大変貴重なものです。


梵文光明真言刻銘瓦質土器

蔵骨器

 今回紹介した王の墓周辺は、交野古文化同好会の有志が毎年お正月とお盆の年2回の清掃活動を30年間続けられています。
 鎌を手に雑草を刈り、熊手で落葉を掃き取り、青竹で花筒を造って墓前に非榊が供えられます。
 現在の静寂に満ちた神々しい雰囲気も、このような地道な活動によって支えられています。

歴史民俗資料展示室ボランティア解説員 村田義朗

住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)

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