交野歴史健康ウォーク
2002.7.27、 第35回
獅子窟寺・本尊国宝・薬師如来坐像を拝観、
獅子窟岩、王の墓などを訪ねる
7/27(土)午前9時 集合場所交野ドーム(噴水広場前) |
7/27(土)天候晴れ、参加者9人。交野ドーム前を9:15分過ぎ、獅子窟寺を目指して出発した。
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いきいきランドの石の座卓で 朝のミーティング |
全員で今日のウォークの 打ち合わせをする |
獅子窟寺の上り口より 交野市内を遠望する |
獅子窟寺への上り口 (坂口)の寺標の辻 獅子窟律寺と刻まれている |
獅子窟岩の前で説明を受ける 淀川を行き来する船の灯台の 役目をした灯がともされていた |
獅子窟岩のくぐりぬけ 何かにこだわりのある方は 引っかかってくぐりぬけ出来ない |
獅子窟寺の墓の清掃
2002.8.3(土)交野古文化同好会有志
交野古文化同好会の有志の方々により
毎年、お盆・お正月前の2回の無縁墓の清掃活動が続けられている。
今年は、8/3午前8時から古文化同好会私部・私市地区の有志の方々によって行われました。
連日真夏日が続く猛暑の中、鍬・鎌を手に雑草を刈り熊手で落ち葉を掃き取っていきました。
皆様手際よく作業を進めていただき約1時間半程で終えることが出来ました。
墓の前には美しい花が供えられ、参加者全員でお勤めをいたしました。
これでお盆が迎えられますと、したたり落ちる汗をぬぐいながら笑顔でおっしゃていただきました
失われつつある「心のゆとり」を呼び起こしてくれた。
故奥野平次が残してくれた交野古文化同好会の活動が今も継承されております。
これも会員皆様方のご理解と協力のおかげです。
今後も清掃活動をを継続して行きたいと思います。
(交野古文化同好会・平田さん)
竹を切り、花をいける竹筒を作る | 王の墓の付近の落ち葉も 綺麗に清掃された |
椿地蔵さん 綺麗に清掃され花も生けられた |
王の墓も 綺麗に清掃された |
獅子窟寺の累代の墓 沢山の落ち葉も綺麗に 清掃された |
六地蔵 明治の廃仏毀釈の時に 上部が壊されたもの |
交野市私市2387番地 / TEL 072-891-6693 国宝の薬師如来は獅子窟寺 「交野郷土史かるた」より 京阪電車・私市駅、河内森駅、またはJR河内磐船駅よりそれぞれ徒歩約40分。
開基は役小角(えんのおづぬ)と伝えられ、本尊薬師如来座像は弘仁期(平安時代、西暦900年頃)のものとされ国宝である。 奈良時代、聖武天皇(45代)の勅願を受けた僧行基が堂塔を建て、金剛般若窟と云った。のちに、平安時代空海もこの山で修法され、境内にある井戸は水の不便を考え、掘られたもので枯水したことがないと伝えられる。 元和元年(1615年)大阪の役、獅子窟衆徒は大坂方に加勢すべく命じられたが、従わず、兵火のため全山焼失した。 中興光影和尚によって再建されたが、往時の10分の1にも及ばなかった。
獅子窟寺薬師仏は事前に予約をすれば拝観できます。 先日、御仏様をお祈りした時、国宝薬師如来御真言は 獅子窟寺の本堂の北の石段を上がって、まっすぐ行くと、獅子窟の南側の支え石に突き当たる。 獅子窟寺の山は全山花崗岩質の山である。梵字の碑の大岩を上にあがると、東から西側に突き出した巨石はまさしく男の石である。つけ根から先まで四メートル五十センチである。 この下から西側に降りると、金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししくつ)である。獅子の口に似たとして獅子窟(ししくつと言われ、現在の寺号が出来たと伝えられている。 嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)のころ、弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言われている。 この岩の奥には、弘法大師の小さな石像があり、昔の伝説がよみがえる思いがします。
※ 鮎返しの滝と賓頭盧尊(びんずる)さん 賓頭盧尊とは ・羅漢のひとり⇒解脱をめざす永遠の修行者である |