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不思議に満ちた交野が原の原風景

機物神社の鳥居より交野山を拝む 天の川伝説で有名な交野市倉治(くらじ)の機物神社は、『交野市史』の記述によれば、そもそものご祭神は、はじめてこの地に機織りの技術を伝えたという漢人庄員。ところが、平安時代になって京都朝廷の人々が遊猟のため「交野が原」を頻繁に訪れるようになり、当時彼等の間で盛んであった天体崇拝思想や文学的趣味から、そのご祭神は転じて織女星すなわち天棚機比大神となったとされています。

参道を行くと左手に本殿、左手に前拝殿、そして正面には遥拝所(遠く離れた所から神仏などを遥かに拝む所)があります。遥拝所は機物神社のご神体である交野山(こうのさん)を背にしています。 冬至の日にここへ来て遥拝所の前に立てば、交野山の山かげから太陽が昇ります。太陽の昇る位置はここより南へは下りません。つまり、機物神社は冬至の日の出を拝む所なんです。機物神社は昔から天文測量の重要なポイントだったんですね。

  機物神社の遥拝所 天野川は、実は今から1300〜1400年前に人工的に作られた川であるとも言われています。私は天野川と機物神社の関係から推理して、他に必ず中心点があるという仮説を立てました。それを実証するために、過去を計算するという作業をここから始めました。そうするうちに、樟葉の交野天神社が重大な意味を持つのではないかということがだんだんと分かってきました。

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不思議に満ちた交野が原の原風景