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大阪・上町台地と坂道ウォーク(7/4)
歴史散歩道・大阪の歴史
大阪上町台地とその周辺の今昔、詳しくは
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 7/4(火)、中年探訪隊の二人は大阪の古代から現代までを足で探るべく「大阪の上町台地のウォーク」を楽しんできました。
 JR森ノ宮駅を午前10時にスタートして天王寺駅まで約6時間の行程。
 梅雨の中休みの晴れ間、身体中汗びっしょりになり、道々自販機で水分を補給しながらの大阪歴史散歩でした。
 まず難波宮跡を見学、資料館では研究員の方から「古代から江戸時代」までの出土品や歴史について分かりやすく説明を受け、帰りには作業室で出土品などの復元作業の様子を見せて頂き大変いい勉強になりました。
 続いて細川忠興・ガラシャの邸跡、真田幸村の抜け穴・戦死の跡、織田作之助、曾我廼家五郎・十郎、井原西鶴、近松門左衛門、赤穂浪士の大高源吾・堀部弥兵衛・安兵衛など歴史上の人物を思い描きながらの墓参り、生国魂神社、愛染さん、四天王寺と沢山の史跡を地図を頼りに巡ってきました。
 生玉町から夕陽ケ丘町にかけては寺町で、一つ一つの寺社の区画は大きく、大木が多くみごとな緑地帯となっている。
 大阪市内で珍しい急坂、上町台地の七坂、源聖寺坂・口縄坂・清水坂・逢坂などを上ったり下ったりして、往時の人々が行き来した情緒あふれる雰囲気を存分に味わい、またこの台地(夕陽ケ丘)からは、直ぐ目の前が海であった昔、大阪湾に沈む真っ赤な太陽がどんなに綺麗に見えたであろうと思った。
 松屋町側(西側)の崖下に、京都の清水寺になぞらえたと言う「玉出の滝」を発見し改めて上町台地の名水を確認。また、市内には意外に緑の公園が多いのを再確認したり、大阪のよさを再発見できた思い出深い歴史ハイクとなりました。
上町台地と坂道歴史散歩行程

JR森ノ宮駅→@難波宮跡→難波宮跡資料館→大村益次郎没地→A越中井→
B三光神社(真田の抜け穴)→C円珠庵(鎌八幡)、楞厳寺(織田作之助の墓)→
D誓願寺(井原西鶴の墓所)、近松門左衛門墓、→E薬王寺(赤穂義士・大高源吾墓)
福泉寺(赤穂義士・堀部弥兵衛、安兵衛父子の墓)→F高津宮→G生国魂神社→
H吉祥寺(播州浅野家の菩提寺)→I口縄坂→
J勝鬘院、安井神社、清水寺→K四天王寺→JR天王寺駅

@難波宮跡、資料館、大村益次郎没地

A越中井(細川忠興、ガラシャ夫人邸跡)

B三光神社(真田の抜け穴)

C円珠庵(鎌八幡)、楞厳寺(りょうごんじ)
(織田作之助の墓)

D誓願寺(井原西鶴の墓所)、
近松門左衛門墓、

E薬王寺(赤穂義士・大高源吾墓)、
福泉寺(堀部弥兵衛、安兵衛父子の墓)

F高津宮

G生国魂神社

H吉祥寺(播州浅野家の菩提寺)

I口縄坂

J勝鬘院、安居神社、清水寺

K四天王寺

上町台地
探訪MAP
上町台地と坂道探訪map

上町台地の4〜8世紀
  • 4世紀後半・・・応神天皇、大隈宮造営
  • 5世紀前半・・・仁徳天皇、高津宮造営(高津宮の所在地は定説がない。@現高津高校付近説A大阪城付近=大手門南説B大阪城の堀を隔てた南側説C中央区法円坂付近説)
  • 6世紀前半・・・継体朝成立
  • 推古元年(593)・・・聖徳太子、四天王寺を荒陵(あらはか)の地に作る。
  • 白雉2(651)・・・孝徳天皇、難波長柄豊碕宮を完成、後、天武天皇が改造。
  • 朱鳥元年(686)・・・難波長柄豊碕宮の天武改造部が焼失。
  • 天平16(744)・・・聖武天皇、難波宮に遷都。(大阪城南側、中央大通りを隔てた法円坂にある「難波宮跡」の位置にあったことが確認。
  • 天平17(745)・・・恭仁宮(くにのみや)遷都、難波宮は陪都(ばいと)に。
  • 延暦11(792)・・・難波宮廃都。
上町台地と坂道
大阪地形図
 大阪城から南へ幅約2kmで南端の大和川まで距離は13kmの細長い台地が上町台地である。
 上町台地は大阪城の南、法円坂一帯がもっとも高く、標高23mを示し、南へ徐々に低くなって阿倍野付近で15m、住吉では10mとさがっている。我孫子付近は上町台地が南の泉北台地へ移り変わるところである。
 上町台地の西側は急斜面となっているのに対して、東側はなだらかな傾斜した台地面となっている。
 台地の西側の崖は樹木が多い。生玉町から夕陽ケ丘、天王寺公園にかけては、寺町となっているため、大木が多く景観上、みごとな緑地帯となっている。また、この急崖を東西に横切る道路は急な坂道となり、生国魂神社北門に通じる真言坂から南へ、源聖寺坂、学園坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂など大阪市内では珍しい急坂がならんでいる。こうした地形の特徴を示すように、大阪では、山の手・下町の呼称がなく、台地上の地名に「上」をつける場合がある。たとえば船場の本町に対して上本町と呼ぶし、上之宮・上汐町などがある。


 また、台地上には天王寺公園の茶臼山古墳をはじめ、古墳が多く、上町台地が市中でもっとも早く開けたところであることを物語っている。さらに、台地の北端は、淀川を眼下に見下ろす景勝の地で、古代には難波宮、中世には石山本願寺、近世には大阪城と、各時代を通じて、大阪の中心地となった所で、特異な土地柄を示している。


 上町台地には名水が多かった。井戸は高台の常で水面まで深かった。
それで「あの二人は上町の井戸」などとしやれた。(仲が深い。)
愛染さん、清水さん、安居の天神さん、にはそれぞれ良い水が自噴したが、地下鉄谷町線の工事で水脈が切れ、今では殆どが涸れたり、濁ったりしてしまった。

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