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交野郷土史かるた(な行)

夏の陣 徳川家康 陣屋跡

      夏 
    徳 の 
    川 陣 
  陣 家    
  屋 康    
  跡 

元和元年(1615)徳川家康は大阪城攻めのため星田に着き、平井清貞宅に宿営し、旗じるしを平井家が代々別当職をつとめる新宮山八幡宮の前に東面する崖の上にあった大きい松にかけました。
後にこの松を旗かけの松といっていましたが、明治初年に枯れてしまい、今は二代目が植わっています。

善林寺

     西 
     向 
  善  き 
  林  本 
  寺  堂 

星田の北にある善林寺は浄土真宗の寺です。
この本堂が西向きになっているのは枚方出口の光善寺と相対するように建てられたからだという、言い伝えがあります。
光善寺は1476年蓮如(れんにょ)が河内の民衆を教化したところで、当寺のこの伝説や寺号に善の字があるのを考えれば、何か深い関係があるように思われます。

賓頭盧(びんずる)

       ぬ 
     び れ 
     ん て 
     ず い 
  滝 る る 
  の さ    
  中 ん    
     も 

磐船神社から北に鮎返しの滝があり、若鮎がここからひき返すのでこの名がついています。
雨乞いの時は賓頭盧(びんずる)さんの赤い顔におしろいをぬって、滝つぼへつりさげました。
するとはずかしくて、おしろいを洗いおとそうと大雨を降らせてくれたといいます。

明遍寺

      念 
      仏 
    教 を 
  明 え    
  遍 伝    
  寺 え    
     て 

治承年間(1177〜1181)明遍(みょうへん)は高野山で修行をしていましたが、法然上人(ほうねんしょうにん)の他力念仏の教えに感銘を受け帰依し、高野山と京都の間を行き帰りするうちに、郡津に休息所として小庵をつくり、付近の百姓を集めて念仏の教化をしたのが明遍寺のはじまりと伝えられています。

野は狩場 かた野の里は 歌所

      野 
    か は 
    た 狩 
    野 場 
  歌 の    
  所 里    
     は 

交野地方は昔、一般人の狩猟は禁止され、もっぱら京都朝廷の御猟場でありました。
当時遊猟にくる人々はすばらしい山川の景色に接し、誰もがこぞってすぐれた歌をつくろうとしました。

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